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History of MIN-ON

VOL.06 民音・クラシック音楽50年の歴史

最高の音楽を民衆の手に

青澤唯夫氏 特別寄稿

民音の招聘で初来日した「ミラノ・スカラ座」「ウィーン国立歌劇場」をはじめ、民音クラシックの歴史を音楽評論家の青澤唯夫氏に綴っていただきました。

4カール・ベームとウィーン国立歌劇場

ウィーン国立歌劇場オペラの来日公演は1980年秋、音楽界の話題をさらった。86歳の巨匠カール・ベームをはじめ5人の指揮者に率いられた総勢350名の引越公演で、前年にはワシントン公演も行われたが、日本公演はさらに大規模なものであった。国内だけでなく本国でも注目されていたらしく、14人ものジャーナリストが取材で来日していた。日本にはオペラハウスもなく、多目的ホールでの上演だったからステージに合わせるための準備も大変で、1年ちかくを要したという。

演目はモーツァルトの『フィガロの結婚』、『後宮からの逃走』、R・シュトラウスの『サロメ』、『エレクトラ』、『ナクソス島のアリアドネ』の5つ。東京、大阪、横浜で22回の公演があった。R・シュトラウスはモーツァルトからワーグナーの流れを汲むドイツ語圏オペラ本流の大御所なのに、日本で優れた上演に接する機会は稀であった。特に『エレクトラ』は本邦初演で、私が観たのは10月23日NHKホールだが音楽雑誌から批評を頼まれたのに、このオペラは他の舞台を観ていないので上演の水準をはかりかねるという理由からお断りしたものである。エレクトラを演じたニルソンの声は圧倒的で、ドラマティックな歌唱は風格、説得力ともに圧巻であった。リザネックも緊迫感を盛り上げて、見事であった。クロブチャールの指揮は端正な表現ではあったが、エネルギーや集中力が不足して物足りなかったけれど。

「カール・ベーム」1980.9.29(月)東京文化会館
「エレクトラ」1980.10.23(木)HNKホール

『ナクソス島のアリアドネ』(10月9日、東京文化会館)は、ベームの細部まで血の通った作品を知悉した円熟味あふれる指揮のもと、高度なコロラトゥーラ技巧で魅了したグルベローヴァ、バルツァの好演など、客席を沸かせた。『サロメ』は私は観ていない。サロメ役のリザネックは堂に入っていたが、ヴェールの踊りに難があり、シュタインの手堅い指揮が出色だったと友人から聞かされた。

「ナクソス島のアリアドネ」1980.10.9(木)東京文化会館
「サロメ」1980.10.2(木)HNKホール

『フィガロの結婚』(10月3日、東京文化会館)は、ベームがオーケストラ・ボックスに現れるとワァーという響めきと拍手がわき起こったが、彼のゆったりしたテンポが舞台の決め手となっていた。高齢のベームは足どりも覚束なかったが、要所要所を引き締める統率力はさすがであった。重いリズムと遅いテンポで、歌い手には苦しい部分も見受けられたが、室内楽のように細部の自在な変化までよくわかったし、オーケストラ(ウィーン・フィル!)が巧いので、芳醇な音楽がホールいっぱいに響きわたる。アンサンブルの精度から言えば、小編成の『アリアドネ』のほうが立派だったが。

「フィガロの結婚」1980.10.3(金)東京文化会館
「後宮からの逃走」1980.10.7(火)東京文化会館

プライのフィガロは歌も演技も達者。だがこの名歌手も美声に翳りがみえはじめていた。フィガロ役としては才気だけでなく、骨っぽさや貴族階級への反抗など、当時のフランス革命を想起させるような奥行きがあるとよかったのではないか。ポップはしっとりした声、軽妙な演技で知的なスザンナを好演。この役は100回くらい歌っていると語っていた。ヤノヴィッツの伯爵夫人は絶妙なアリアを聴かせたが、かつての美声は影をひそめ、硬質の声と歌いまわしが役柄をシリアスなものにしていた。ヴァイケルの伯爵は歌も演技も中途半端。中年男の色気や嫌らしさが足りず生身の人間像が伝わってこない。モーツァルトの音楽は恐ろしいほどの真実味をもっているのに。バルツァは柄の大きな、生硬なケルビーノを演じた。

ベームの指揮する『フィガロの結婚』が日本に御目見得したのは1963年9月、ベルリン・ドイツ・オペラによる日生劇場の柿落とし公演で、ベリー、ケート、フィッシャー=ディースカウといった名歌手が揃い、ケルビーノ役のマティスが絶品であった。ベームもまだ颯爽としていて、あれは歴史に残る名舞台ではなかったろうか。
1980年の『フィガロ』は「総じて70点から80点」という専門家筋の評価もあったが、私はもっとよい点数を上げたいと思った。これほどの豪華メンバーを揃えても、モーツァルトのオペラはなお汲み尽くせない魅力を秘めている。とはいうものの端役にいたるまで惹きつけるものを持っていて、大団円の重唱までぐんぐん引っ張ってゆく舞台づくりには感嘆のほかなかった。

『後宮からの逃走』(10月7日、東京文化会館)は、ドルンの演出で、音楽と演劇的な効果が一致せず、ゼルナーやエヴァーディングの演出に較べて見劣りがした。グルべローヴァはここでも難技巧をこなして魅惑的に演じ、絶讃に値する出来栄え。太守セリムには名優クルト・ユルゲンスが起用され、存在感をみせた。グシュルバウアーは溌剌とした指揮だったが、力みすぎて声楽陣とオーケストラがかみ合わないもどかしさが残った。
ウィーン国立歌劇場の記念すべき来日公演は、観る人それぞれにさまざまな感銘をあたえたことだろう。それはかけがえのないものにちがいない。ベームはこの公演の翌年、世を去った。日本が大好きで「日本には、ヨーロッパやその他のほとんどの国にはない〈畏敬〉という言葉が存在している。だから古い伝統や年長者を敬う気持ちが強いのだ」と語った彼の昔の言葉が忘れられない。