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[ History of MIN-ON ]
VOL.04
民音の誕生
~日本の音楽界に、新しい風が吹いた~
日本の歌謡界に新しい風が吹きました
嶋田親一氏 特別寄稿
民音草創期より深く関わって頂いている「テレビ黄金期を支えたプロデューサー」嶋田親一氏に民音の歴史を綴っていただきました。
6全国縦断!「ロング・リサイタル」
~ 民音会員が支えた底力 ~
都会と地方の格差の問題、文化のひずみ、なにも今に始まったことではない。年々経済を支える力に比例して地方の人口減少、人材の流出も解決されていない。
民音主催の催しが今日も全国各地で展開されている。地方の抱えている問題や関わりは今も昔も根は同じだ。
私は民音の舞台の制作演出で地方を巡業し、その公演を支える民音会員の方々のエネルギーに直接ふれた人間として、公演に賭ける地元のパワーに圧倒された事を今でも強烈に覚えている。
民音の地方公演ではこんな風景をいつも見る。会場で歌のショーが始まるというのに、人が集まってこない。スタッフや、私は「客は入るのか?」という不安に襲われる。いや、前売りのチケットは完売だ。でも不安にかられる。それがどうだ。開演1時間前になるとどこからともなく車が群がり、家族連れで会場は埋まっていく。
どこにこんな人がいたの?嬉しい衝撃を受ける。お客は娯楽を求めている。音楽や歌も好きなのだ。テレビや映画では見られない生の感動、憧れをもって待ち焦がれている。民音の仕事で地方に行って、その熱に圧倒された思い出だ。
民音が「ロング・リサイタル」を全国縦断企画として第1回をスタートさせたのは、民音創立10周年を記念した「淡谷のり子ロング・リサイタル」である。スタッフを見ると力の入れ方がわかる。構成・演出、佐藤信。美術、妹尾河童となるとその舞台が想像出来る。淡谷のり子ロング・リサイタルの公演回数は43回。1973年(昭和48年)11月4日が初日。民音10周年の記念すべき大事業が幕を開けた。
この民音ロング・リサイタルは第9回まで続いて全国の歌謡ファンの夢に答えた。歌謡曲が大衆に求められ、熟し切る時代の流れをそのまま反映している。このロング・リサイタルに出演した歌手を見てみると、そのまま歴史が伝わってくるようだ。それぞれのサブタイトルに歌手の想いを伝えている。
淡谷のり子から見てみよう。
「歌手生活45年 いのちふたたび NORIKO AWAYA」このパンフレットは民音創立10周年と、淡谷のり子45周年が重なって中味が濃い。第1回の幕開けにふさわしいロング・リサイタルになった。
第2回からのサブタイトルを見てみる。それぞれの歌手の強い心意気が感じられる。
ロング・リサイタルはいわばワンマンショーだけに歌手の負担は心身ともに大きく重い。まず健康管理と体力との闘いもある。全国巡演となると深夜に移動し乗り継いで次の土地に向かう。共演者、バンド、スタッフも連日、連夜で、その土地も変わり、会場も変わる。すべての条件がそのつど連日異なる。設備が万全でない地方の会場もある。
私は自分の経験から言っても毎日が初日だったと推測する。どんなに条件が悪くても最高のステージを作り上げたい。これは歌手は勿論、スタッフ一人一人、同じ想いである。
私は思う。ロング・リサイタルはステージと客席が一つになって作り上げたに違いない。表方と裏方という私たちで言う言い方がある。スタッフも支える関係者も一体にならないと、ロング・リサイタルのような企画は成功しない。まさに民音にふさわしい企画であり、全国の民音会員を巻き込んだ、いわば大衆文化運動だったと思う。その実績と継続する力はこれからも消えることなく、生き続けていってほしい。全国津々浦々に民音を愛する人がいる限り、それはできると思う。日本の音楽界の為にも。(敬称略)
2013年12月20日(金)