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History of MIN-ON

VOL.04 民音の誕生
~日本の音楽界に、新しい風が吹いた~

日本の歌謡界に新しい風が吹きました

嶋田親一氏 特別寄稿

民音草創期より深く関わって頂いている「テレビ黄金期を支えたプロデューサー」嶋田親一氏に民音の歴史を綴っていただきました。

5「民音浪漫劇場」秘められたドラマ

~ 舞台と客席が一つに ~

企画の段階から「民音浪漫劇場」はすでにドラマチックに歩き出していた。

1976年(昭和51年)に始まり、私は3本連続でその公演に関わることになった。音楽とドラマの融合。音楽性が豊かで内容はドラマチックに。言うは易く、それは難しい注文である。音楽は専門家に委ね、私は演出家として勝負しようと肚を決める。

その頃、フジテレビは制作陣を積極的に外部と連携する試みを実行していた。私の率いる新制作(株)は、ちょうどその頃から民音と仕事をするようになっていた。その中で「民音浪漫劇場」は誕生したのだった。

第1作はサトウハチローを主人公にした。

「風船玉の唄〜心の詩人サトウハチロー」(1976.1)

終戦直後から国民的大ヒットソングになった「りんごの歌」の物語だ。舞台化するにはためらいはない。ここからのスタートである。脚本は私と長年のコンビを組む松木ひろし、音楽は渡辺岳夫。そして演出にはキノトールを迎えることにした。私と松木ひろしが敬愛していた才気あふれる先輩がキノトールだったのである。サトウハチロー役は、民音と縁の深いあおい輝彦。これさえ決まればGO!である。松木ひろしは大胆にドラマとして創作し、芝居の世界を独自に作り上げた。

サトウハチローは、亡くなって3年経っていた。未亡人の許可を得て、思い切ったドラマ化に徹することに。この企画の狙いは第2作にも継承されていく。「民音浪漫劇場」の路線はこの流れで固まっていった。

第1作は、タイトル「風船玉の唄~心の詩人サトウハチロー」。若き日の主人公の青春ドラマと、サトウハチローの歌が全国を駆けめぐる。1976年(昭和51年)1月29日を皮切りに21回公演「民音浪漫劇場」は大成功でスタートを切ることができた。

「風船玉の唄〜心の詩人サトウハチロー」(1976.1)
「からすなぜ啼くの〜さすらいの詩人・野口雨情」(1977.3)

そして私は第2作、第3作に情熱を傾けて行った。第2作は私自身が演出することになった。劇の主人公は野口雨情。愛唱歌のメロディを知らない人はいないだろう。脚本を林秀彦に依頼。「七つの子」「シャボン玉」「赤い靴」「船頭小唄」を存分に聴かせながら、ドラマを作り上げる人間讃歌の芝居が狙いだ。林秀彦は史実と現代のフィクションを、大胆に交錯させる構想を提案することで仕上げていった。

野口雨情に緒形拳を起用したこと自体が、私には感慨無量のことだった。勿論、適役だと誰もが思う筈だが、舞台裏には言うに言われない事情があった。まず緒形拳と私は9年ぶりで再会し、仕事をする決断に踏み切ったのである。新国劇を脱退した緒形拳と、新国劇と提携したフジテレビ側の責任者である私は、立場上、絶交せざるを得ない月日を送っていた。あれから9年も経つか。

「からすなぜ啼くの〜さすらいの詩人・野口雨情」(1977.3)
「からすなぜ啼くの〜さすらいの詩人・野口雨情」(1977.3)

お膳立てをしたのは雪どけを願う私のスタッフ達と、そのチャンスを与えてくれた民音にほかならない。緒形拳も私も、いつかこの日の来ることを予感していた。そして実現された。共演者に市村俊幸、沢田亜矢子等が固まっていく。一旦肚を決めると実行は早かった。

1977年(昭和52年)4月21日、九州は八幡市民会館が千秋楽打ち上げの会場。その夜明け方まで私は緒形拳と飲み明かした。「民音浪漫劇場」は悲喜こもごもすべてを飲み込んでいった。

そして第3作の「いつかきた道-北原白秋 その愛と詩」は史実とドラマが争点になり、モデル側と制作側の葛藤が生まれた。脚本は「上海バンスキング」で脚光を浴びた斉藤憐。演出は後年「北の国から」を不朽の名作テレビドラマと言わせたディレクターの杉田成道だった。

「からすなぜ啼くの〜さすらいの詩人・野口雨情」(1977.3)
「いつかきた道 北原白秋 その愛と詩」(1978.4)

ちょうどフジテレビがプロダクション制作をやめて一本化する時期と重なってもいた。「民音浪漫劇場」は、この作品がラストになってしまった。全国41公演。どの会場でも、「いつかきた道」を口ずさみながら感動的に幕を閉じた。

「民音浪漫劇場」から私たちは離れていかざるを得なかったが、1981年(昭和56年)4月16日からの「犬童球渓・いくとせ故郷きてみれば」(財津一郎主演、大西信行作・演出)まで名称は残った。その後「民音劇場」と名は変わったがその試みは数々の舞台を生み出している。

私たちが「民音浪漫劇場」に関わったのは短い歳月だったかもしれない。しかしこれほど強く燃焼した日々はなかった。貴重な人生ドラマも生まれた。舞台作りにそれぞれが命がけの青春を生きたということだろう。

民音あればこその歴史の一コマであった。(敬称略)

「いつかきた道 北原白秋 その愛と詩」(1978.4)

2013年12月18日(水)
嶋田親一