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History of MIN-ON

VOL.03 「民音音楽博物館」の歴史
~「民音音楽資料館」の発足から~

民衆のための音楽を目指して

スペシャルてい談

民音設立10周年を機に設立された民音音楽博物館。設立の経緯から現在に至るまで、さらに未来への展望を、国立音楽大学名誉教授である海老澤敏氏をゲストに迎え、当博物館館長と館長代行と共に伺いました。

5東京都の登録博物館へ
~時代と共に変化した資料館~

――― 民音音楽資料館は時代とともに、どのように変化をしてきたのですか?

小林:振り返ってみますと、1974年、民音創立10周年を機に、記念事業の一環として、この民音音楽資料館を開館させて頂きました。それは、“青少年のため”という一途にその目的で、この資料館は設立されました。

実は、北新宿時代というのは、別個に展示室を設けていまして、頻繁にではなくて、特定のお客様に見学案内をしておりました。主に、ライブラリーの方が中心でしたからね。ただ、ライブラリーを利用される方は決まっていますので、ライブラリーを利用される方以外にも、もっと幅広く音楽に触れる機会を、提供しようではないかと。開館以来35年、その間、地道に資料収集を続けてきまして、国内外の音楽資料が30万点を超えましたので、展示物も図書や楽譜だけでなく、多彩な楽器なども見て頂こうと博物館化を計画しました。これまで、“音楽書や楽譜といった紙の資料”を中心としたライブラリーから、“楽器などの実体資料”を中心とした博物館へと性格を変えました。

北新宿時代の「民音楽楽資料館」ウエルテルーム(展示室)
北新宿時代の「民音音楽資料館」ライブラリー
信濃町の「民音文化センター」ロビーホール

上妻:97年、信濃町へ移転してきてからは、駅から近いということもありましたので、思い切って、2Fフロアーを全て展示コーナーとして創設し、当館が収集した楽器などを一般に無料で公開させて頂くようにしました。全国には、およそ5,000以上の博物館がありますが、その中でも、当館は、多くの方に利用して頂いたことで、信濃町に移転してより、6年後の2003年12月25日、東京都より「登録博物館」として認可を受けました。

これは、民音音楽博物館として、今まで、資料館の設立準備も含めて、30年かかった形ですが、全国的に使って頂いて、社会に開かれた博物館として、それなりにきちっと整備をされたという証ではないかと。その意義を改めて自覚して、この博物館の運営を進めていかないといけないなと思っています。

小林:ちょっとした時に、民音という名称を出しますと、今の40代、50代の、たとえば、音楽関係に携わっている方が、「民音さんにお世話になりました」と言って下さるのが嬉しいですね。「中学生の頃とか、高校生の頃とか、よくあそこに行って、音楽を聴いたし、勉強もしました」と。「実は私はサックスを吹くんです」とおっしゃったり。そういう話を少しずつ聞くようになってきて、何がどういう風にという形よりも、そうした私たちの資料館から博物館へ通じての活動が、いろんな形で、ひとつのものを見えないところで、作り上げてきているという自負はいつも持っていこうと、博物館の運営に携わるには、伝えさせて頂いています。

信濃町の「民音文化センター」ロビーホール
「登録博物館」の認可を受け、新たにスタートした「民音音楽博物館」

上妻:東京都より「登録博物館」として認可を受けましたので、民音音楽資料館の設立30周年の節目でもありましたので、翌年の2004年5月に、名称を「民音音楽資料館」から「民音音楽博物館」と改め、博物館としてスタート致しました。

それと同時に、新たに展示部門として、「常設展示」と随時テーマを選定して行なう「企画展示」を併設し、古典ピアノを「常設展示」、また、初年度は、一番とっつきやすいものをということで、オルゴールを「企画展示」として開催しました。

「登録博物館」の認可を受け、新たにスタートした「民音音楽博物館」

――― 信濃町に移ってから、展示コーナーを併設し、拡充をされたとのお話でしたが、今までどれくらいの方が、民音音楽博物館を利用されているのでしょうか。また、どういうかたちで利用されていますか?

小林:1997年、展示部門を開きましてから、ライブラリーの方は、それと同時に、それまでは、毎日オープンしていたのを、週3日にさせて頂きました。というのは、展示ルームが中心になりましたので、どうしても、そちらに時間をとられることが多くなりました。ライブラリーを利用される方々に、十分な対応が不可能であると判断いたしまして、サービスが低下したととられるよりは、3日間でも充実したサービスを提供していきたいということで、週3日のオープンとさせて頂きました。と同時に、展示部門のほうは、月曜日を休館として、毎日オープンしていこうという形で、変えたんですね、やっぱり、展示を中心に考えていこうと。

上妻:ライブラリーの方は、年間1万人から1万人ちょっと位の方にご利用頂いております。展示部門の方は、文化センターがオープンしてから、毎年平均しますと、年間10万人くらい。多いときで、13万人(「モーツァルト展」の年)の方が来館された年もありました。

100万人目の来館者を記念するセレモニー風景

コンスタントに多くの方々に利用して頂いて、12年が経ち、来館者は、延べ135万人になりました。博物館協会等にも加盟しておりますので、色々なデータを見させて頂くと、私どもの博物館の規模としては、異例なぐらいに多い来館者であるということが言えると思います。

小林:年々、来館者は増える傾向にあります。ご近所の方も、いろんな機会に来て頂いていますし。また、企画の展示の内容によって、来られる方が色々です。中でも、ここ数年間は、インターネットが発達し、「総合学習」という教育のカリキュラムができてから、子供たちが、積極的にインターネットを通じて、当館の存在を知り、来館するようになったり、それから、修学旅行の自由時間の間に、いらっしゃるようになってきた。また、いろんな介護施設の方々が存在を知って、天気のよい時に当館にお出かけになる。それからウォーキンググループの方の利用もあります。

上妻:そういう中で、2004年に、博物館としてスタートしてからは、中学校、高校の生徒さん、大学の学生さん、また、先生方からも注目をして頂くようになりまして、見学のために来館されるようになりました。ゼミの学生さん等、団体で20名から、多いところは70名でいらっしゃることもあります。コンスタントに毎年必ず、どこかの団体さんがいらっしゃるようになってきました。年々、その内容が変わってきています。それだけ、裾野が広がってきたなぁということを実感しております。

100万人目の来館者を記念するセレモニー風景