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2023/04/06 ミュージックジャーニー

MIN-ONミュージック・ジャーニー~ネパール編~

世界最高峰のエベレスト

 

皆さん、民音ミュージック・ジャーニーへようこそ。

今回は、南アジアに位置する内陸の国ネパールへ、駐日ネパール大使館の皆様とともにご案内いたします。

 

ネパールの北部には世界最高峰のエベレストをはじめ、ヒマラヤ山脈に属する8,000m級の秀峰が数多くそびえています。一方、中央部には広大な盆地や平原、南部には亜熱帯のジャングルが広がっており、南北で自然環境は大きく異なります。

 

 ネパールの旅のしおり 

・世界遺産「カトマンズの渓谷」の歴史的な街並みに触れよう

・国内最大のお祭り「ダサイン」に参加しよう

・ネパールの定番料理「ダルバード・タルカリ」を味わおう 

 

 

 

世界遺産 カトマンズ盆地(カトマンズの渓谷)

釈尊生誕の地として広く知られるネパールでは、仏教・ヒンドゥー教などが共存する独自の宗教土壌に、さまざまな文化が花開いていきました。国土の中央からやや東方に位置するカトマンズ盆地は、そんなネパールの魅力を象徴する重要な世界遺産です。

釈尊の生誕地ルンビニ

 

一帯は緑豊かで肥沃な土地であったことから、チベットとインドをつなぐ交易の要所として古くから栄えました。15世紀になると「カトマンズ」「パタン」「バクタプル」の3つの古都が栄華を競い合い、宮殿や寺院などを建立するなかで、建築・彫刻・工芸分野の技術が大きく発展しました。

 

赤レンガと木材を組み合わせた建物は、国内の伝統的な建築様式となっており、現在でも当時の街並みが残されています。なかでも、現在の首都カトマンズは、ノスタルジックな街並みや異文化を体験しに世界中から旅行客が集まる人気の観光スポットとなっています。


カトマンズ

 

これら3つの古都と、仏教およびヒンドゥー教の建造物群を総称したものが、世界遺産のカトマンズ盆地です。

 

 

世界でただ一つの四角形ではない国旗


2つの宗教の関係性は国旗にも表現されています。
三角形を組み合わせた独特な形のネパール国旗は、もともとは王家と宰相家がそれぞれ使っていた三角旗をつなげて生まれたものですが、現在ではネパールを象徴するヒマラヤの山並みと、2大宗教である仏教・ヒンドゥー教を意味するようになっています。

 

 

ネパールの最大のお祭り ダサイン

多民族・多宗教国家のネパールには、特徴的なお祭りが数多く存在します。秋に行われる「ダサイン」は、悪魔を叩きのめす強く美しい女神ドゥルガーにちなみ、人々の生命力向上と豊作を祈願する国内最大のお祭りです。

 

もともとはヒンドゥー教由来のお祭りではありますが、現在では仏教徒にも広まっており、国民の休日になっています。儀式は10日間にわたって行われ、その期間は遠方の家族も実家に帰省して全員で過ごします。

 

期間中は大量のお買い物や凧揚げ、寺院訪問といったイベントも行うなど、日本のお正月に似ているポイントも多いです。



1日2食が基本スタイルの食文化

ネパールの朝は、1杯の熱い「チャー」とともに始まります。チャーは紅茶にミルクと砂糖を入れ、ブレンドスパイスで香り付けした飲み物であり、食生活に欠かせないパートナーです。


ネパールの食生活は「1日2食」と「カジャ」と呼ばれるオヤツの組み合わせが一般的であり、午前中に遅めの朝食をとります。食卓に並ぶことが多いのは、ネパールの代表的な定食「ダルバート・タルカリ」です。

 

それぞれダルは豆、バートはご飯、タルカリは付け合わせのおかずを示す言葉であり、ワンプレートに栄養バランスのとれた料理が並びます。ダルはひよこ豆などを煮込んだスープが多いですが、レストランではチキンやマトンなどのカレーが加わることもあります。

 

その後、午後にはモモ(蒸し餃子)やバラ(豆のパンケーキ)などのカジャを食べ、晩ご飯には再びダルバード・タルカリが食卓に上ります。朝とはタルカリの具を変えたり、カレーを加えたりするなど、家庭によってバリエーションが異なるのが特徴です。

 

ネパールの人々と音楽のかかわり

ネパールの人々にとって、音楽は人生の伴奏曲ともいえるくらいに身近な存在です。街中では朝から晩までロマンチックな音楽やダンサブルな流行歌を口ずさむ歌声が聞こえ、公共のバスでも車内にはドライバーお気に入りの曲が流れているのが日常です。

そんなネパールの音楽文化を象徴するのが、「シャンカ」と呼ばれるホラ貝でできた楽器です。ネパールでは一家に1つはシャンカがあるとされており、儀式に用いる宗教上の法具としてだけでなく、幼い頃から身近に触れられる楽器となっています。

その他、ネパールのさまざまな伝統楽器
サーランギ
木をくり抜いて作ったボディに4本の弦を張ったネパールを代表する擦弦楽器。
マーダル
円錐型または円筒型の胴の両端に皮を貼った両面太鼓。鼓面にモルッドと呼ばれるペーストをつけて音の高低を調節する。
シタール
ネパールを含むインド北方地方で誕生した楽器。約20本の弦のうち7本を弾いて音を出し、残りの弦で共鳴させる。ビブラートを効かせることで奥深い表現が可能。

 

ここで、2016年に行われた民音公演「民音グローバル・セッション 弦-GEN-心をつなぐ響き」から、シタールの音色と表現を堪能できる楽曲を2つご紹介します。

 

  1. 「Connection」

 

  1. 「ヒマラヤの風」

 

駐日ネパール大使館ドゥルガ・バハドゥール・スベディ特命全権大使が今回に合わせてご寄稿くださった「ネパール音楽の発展について」のレポートをご紹介します。

 

 

ネパール音楽の発展について


駐日ネパール大使館

ドゥルガ・バハドゥール・スベディ特命全権大使

 

ネパールで音楽が生まれ発展したのは17世紀の初め、あるいはもっと前であるかもしれません。ネパール音楽は民衆の音楽であり、時代を超えて、民衆によって育まれていきました。ネパールの至るところで、美しく鮮やかな音楽を聴くことができます。さまざまな王朝がネパールの音楽を好み、促進していきました。

 

ネパールは、90以上の民族が共存する多民族国家であり、音楽も非常に多様性に富んでいます。その民族的・文化的な多様性が、ネパール音楽の発展に寄与してきました。多様で活気に満ちた文化や宗教、祭りなどの伝統は、しばしばネパールの民族音楽に反映されています。また、それらの民族音楽から、ネパールの人々の生活や儀式、農業の様子など多様な社会を垣間見ることができます。ネパールの民族音楽は、アサレ、ジャヤウレ、ドホリ、ジュハリ、デウダ、ソラティ、ガトゥ、チヤリで構成されています。

 

近代のネパール音楽は、1951年の王政復古後、ネパール初のラジオ局である「ラジオ・ネパール」を開局したことに始まります。ラジオ・ネパールによって、ナティ・カジやアンバー・グルン、シヴァ・シャンカル・バチュ・カイラッシュ、ナラヤン・ゴパル、プレム・ドージ・プラダン、プシュパ ネパール、ヨゲシュ ヴァイディア、ゴパル ヨンザン、ファッテ・マン・ラジバンダリ、コイリ・デヴィ、タラ・デビ、アルナ・ラマ、ミーラ・ラナ、ギャンヌ・ラナ、ダーラマ・ラジャ・タパ、クマール・バスネット、バクタ・ラジ・アチャリヤ、アルン・タパ、ディープ・シュレスタ、ディーパック・カレル、オム・ビクラム・ビスタ、シャンブ・ジート・バスコタ、プラカシュ・シュレスタ、マドゥ・チェトリ、カルナ・ダス、アナンダ・カルキ、ウディット・ナラヤン、ラム・クリシュナ・ダカル、ヤム・バラル、プロモド・カラール、スガム・ポカラール、ラジュ・ラマ、シヴァ・パリヤール、ディーパック・リンブー、ディーパック・バジュラチャリヤ、ナビン・K・バッタライ、ヘマンタ・シャルマ、ニマ・ルンバ、シャンブ・ライ、ウダヤ・ソータン、ラジェス・パヤル・ライ、アンジュ・パンタ、アニ・チョイン・ドルマ、ミラン・アマーティヤ、メリナ・ライ、シトゥ・カレル、クンティ・モクタン、マニラ・ソータン、インディラ・ジョシー、プラビーシャ・アディカリなど、ネパールの音楽分野において重要な人々が登場し、これらの優れた作曲家、歌手、作詞家は、彼ら自身の才能を披露するだけでなく、近代ネパール音楽全体の促進にも貢献しました。

 

その後、ラジオ・ネパールは1954年に、ネパール国内の多くの地域、さらにはインドのダージリン、シッキム、アッサム、デヘラードゥーンやブータン、ビルマ(現在のミャンマー)でも放送されるようになり、近代のネパール音楽がさらに発展していきました。

 

1957年のネパール・アカデミー設立後、1961年にはラシュトリア・ナッハ・ガー(国民文化事業団)、1962年にラトナ・レコーディング・コーポレーション、1971年にネパール・フィルム・コーポレーション、1984年にネパール・テレビジョンが設立され、これらの団体は、ネパール音楽の近代化と制度化に多大なる貢献を果たしました。また、トリブバン大学において音楽専門の学位が取得できるコースを開設したことも、ネパール音楽発展の可能性を一段と広げたと言えます。大変興味深いのは、ラジオ・ネパールを含む、これら全ての機関がネパール政府によって設立・運営されているということです。また、ネパール映画の発展は、新たなミュージシャンの台頭に繋がり、ネパール音楽の振興にも影響を与えました。

 

これらのことから、ネパール音楽は、常にネパールの土壌に根ざしてきたと言えます。ネパール音楽は、長い歴史の中で時にはさまざまな試練に耐えながら、ネパール社会の多様な民族、宗教、文化、哲学などの特徴やその構造を表現することができたのです。

 

しかし現在ネパールでは、ネパール音楽が西洋音楽やその他の音楽の影響を受けていることに抵抗感を持つ旧世代の人々と、それらを歓迎する若者世代とがおり、ネパール音楽にとってはとても厳しく困難な状況に直面しています。今後は、ナショナリズムと西洋化のバランス、特に、ネパール音楽の多様性のバランスを保つ必要があると言えます。

 

最後に、レポートでご紹介いただいたアーティストをはじめ、ネパールで愛される音楽家たちの楽曲をお届けします。ネパールの豊かな音楽をどうぞお楽しみください。
※ボタンを押してご視聴ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

皆さん、ネパールへの音楽の旅はいかがでしたでしょうか。

音楽の旅はまだまだ続きます。次回もどうぞお楽しみに。

 

協力、写真提供:駐日ネパール大使館

Min-On Concert Association
-Music Binds Our Hearts-

 

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