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2022/12/27 特別インタビュー

ヴィリニュス市合唱団「ヤウナ・ムジカ」芸術監督・指揮者ヴァツロヴァス・アウグスティナス氏インタビュー

◇Interview

ヴィリニュス市合唱団「ヤウナ・ムジカ」 音楽監督・指揮者 ヴァツロヴァス・アウグスティナス

聞き手:カメラマン/音楽ライター 山口 敦氏


2022年10月2日~10月26日全国14都市で公演を開催したヴィリニュス市合唱団「ヤウナ・ムジカ」の芸術監督・指揮者ヴァツロヴァス・アウグスティナス氏にお話しを伺いました。

 

――日本の印象、そして祖国リトアニアの風景についても教えてください。ユネスコ無形文化遺産に登録されている「歌と踊りの祭典」の様子も。

 

オフの日には長崎の原爆資料館をはじめ各地の美術館、なかには富士山に行ったメンバーもいました。合唱団は今回が初の日本体験でしたが、とにかく完璧にツアーのマネージメントをして下さったことに、一同感銘を受けています。一番みんなが驚いたのは、駅で目の前をすごいスピードで走り抜けた新幹線でした。あれはすごいね。いずれにしても今回の経験が合唱団の記憶のなかに長く残ることは間違いありません。

リトアニアは、最大の標高が300m弱という平坦な森と湖の国で、バルト海にも接しています。民謡は概してテンポがゆっくりで、時にもの悲しい音楽なのですが、その背景にはこうした地理や気候、それに長く農耕民族だったことが関係していると思います。

「歌と踊りの祭典」は、1924年から4年ごとに開催されています。2年ほど前から次回の準備のために全国で練習が始まります。祭典のクライマックスとなるのは最終日、舞台に1万5千人、観客が10万人というフィナーレですが、祭典の期間の前から首都ヴィリニュスの街は教会、ホールだけでなく広場でも人々が歌い、「合唱の街」と化すのです。

 

――1990年の独立、民主化へ向けた国民の動きはどうだったのでしょう。「歌う革命」と呼ばれていますね?

 

18世紀のなかばから近代までの大部分の期間、リトアニアはロシア帝国、そしてソ連の統治下にありました。信仰の抑圧、そして民族の歌もリトアニア語での出版も禁止されました。「歌と踊りの祭典」はソ連の統治下でも続けられましたが、選曲は厳しい制約を受けました。ソビエト思想を宣伝する手段として音楽が利用されていたのです。そんななか、もし10人、100人が「リトアニアに自由を」と叫べば、すぐに全員が拘束される。でも1万5千人が舞台で自由を訴えれば、さすがに逮捕されないでしょう。声を合わせて歌うことで自由を求める心が勇気づけられ、政府が恐れをなすほどの「武器」に、音楽はなり得たのです。

 

――あいかわらず戦争、コロナウイルス感染症、そして貧困、格差、いろいろと人々は分断され続けています。

 

コロナ禍のとき、自分たち音楽家は社会に必要とされていないのではないかという不安に駆られましたが、気づくと実は、人々は文化、音楽なしでは生きられないことがわかったのです。私は、心からウクライナの民衆を支持し、彼らの勝利を信じていますが、音楽によって人をつなぐ民音のような活動は重要と思います。文化芸術が、あるいはそれを営む組織がどのように平和をもたらせるか。それは問い続けたいです。そして自分に何ができるだろうか、と。

 

ヤウナ・ムジカ「瑠璃色の地球」