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History of MIN-ON.

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Vol.4 民音の誕生〜日本の音楽界に、新しい風が吹いた〜 嶋田親一氏 特別寄稿

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  • 五木ひろしと夜明け前
  • 美空ひばり永遠を生きる
  • 想い出の「民音歌の大行進」
  • 「民音浪漫劇場」秘められたドラマ
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  • 中国との文化の架け橋・民音と杉村春子

中国との文化の架け橋・民音と杉村春子

月刊みんおんの取材での杉村春子
月刊みんおん取材での杉村春子
(1993.7)

~ それは強い思いの結晶だった ~

今からはや20年になるか。民音創立30周年の頃、私は月刊「みんおん」の連載の司会をしていて、文学座の杉村春子と語っている。杉村春子と、民音と中国との友好が、短い行間に浮かんでくる。私の問いに杉村春子は一言答えた。

―― 今月号は民音三十周年特集号になってるんですが、中国の劇団の招聘では杉村さんともご縁が深いですね。

杉村「民音のおかげで北京人民芸術劇院を呼ぶことができたんです。私、今年も中国に行ってきました。」

北京人民芸術劇院「茶館」(1983.9)
北京人民芸術劇院「茶館」
(1983.9)
「茶館」秦仲義役の藍天野と握手する杉村春子(1983.9)
「茶館」秦仲義役の藍天野と握手する
杉村春子(1983.9)
「茶館」秦仲義役の藍天野と握手する杉村春子(1983.9)
「茶館」千秋楽公演の成功を祝福する
千田是也、夏淳、杉村春子、宇野重吉
※写真左から(1983.9)

これは1983年(昭和58年)に日本に初めて話劇を紹介した時のことを語った一節である。日本の新劇界にとっては記念すべき出来事だった。話劇というのは、わかり易く言えば「新劇」ということで日本では中国の演劇といえば「京劇」と思われがちだったので、この民音公演で「話劇」に初めて接した演劇人が多かった。その時の演目は老舎作「茶館」という中国話劇の代表作で、中国の庶民を描いた舞台である。この公演は中国和劇「茶館」上演委員会のもと開催され、その委員には井上靖、杉村春子、千田是也、宇野重吉など日本演劇界の錚々たるメンバーが顔を揃えた。この時の成功でその後「話劇」は日本で紹介されていった。

この時、珍しい光景が見られた。文学座の杉村春子、劇団俳優座の千田是也、劇団民芸の宇野重吉が一つの写真におさまっている。この企画のおかげだ。楽しそうな3人の貴重な写真である。日本の新劇の歴史を思い出させたのも、民音の力があってこそと、今しみじみ思う。私には縁が深い3人であったが、この晩年の顔合わせは見たことがない。特筆すべきは新劇と話劇が交流した第一歩ということだ。

民音の中国芸術との交流は長く深い。中国の演劇は幅が広く多岐にわたっている。「京劇団」「歌舞団」「雑技団」「話劇」とジャンル毎に劇団や舞踊団があり、中国各地に存在して、これは想像をはるかに超えている。

私が実感としてそれを感じたのは、実際に中国に渡り、各劇団、各俳優と交流を深めた時である。中国は大きく舞台に携わる人達も多く裾野は果てしなく広いということだ。

2001年(平成13年)の秋。私は日本演劇協会の理事として、日本からの訪中団に加わっていた。北京から大連に渡り各地から集まってくれた中国の演劇人と語り合った。日本から行った演劇人も多彩だった。言葉が十分伝わらない時もあったが、演劇人としての悩みやそれぞれの問題点は共通していることが多い。ただ、国家や組織の存在が、日本とは異なる中国の演劇界の背景を複雑にしていたが、「演劇人」としての理想は同じだということが強く印象に残っている。

北京ではある京劇の劇団が日本公演の準備をしているところだった。日本で公演?とみんな思ったものの、日本公演というのは当然のことながら民音のことだったのである。私達もウカツなことで改めて民音イコール日本の演劇界という雰囲気を実感したのだった。

東方歌舞団(1991.6)
東方歌舞団(1991.6)

「京劇といっても中国大陸は各土地に伝統がある。「雑技団」もそれぞれの特徴、各都市各劇団の歴史やカラーは違うことを改めて知ることになった。

中国の若手演劇家達には、熾烈を極める競争社会が待っている。時代を背負う若い人たちの層の厚さはケタ違いだからだ。雑技団というアクロバットのような肉体訓練を受ける学校も全中国の大陸から人材が集まってきている。幼少の時から基礎教育を受け合宿生活で鍛えられ、第一線に巣立っていく。スタートから厳しい生存競争を勝ち抜いていかなければならない。そこから学校に入り専門教育を受け卒業する。

私が感動したのはその卒業生の3分の1がプロになり、3分の1は地元の演劇で学んだ技術を生かす方法を考えて地域の仕事につき、残りの3分の1は一般人として学んだ体験を生活の中で活用するという生き方に徹するということだった。

日本の演劇界とは底を支えている仕組みと層の厚さが全く異なることを痛感せずにはいられない。中国大陸は広く大きい。私は日本の人達にその実態を知ってもらうにはもう一つ工夫がいると思った。

「中国雑技団(2010.2)
中国雑技団(2010.2)

杉村春子は中国が好きだ。「中国大陸は広く、日本との歴史は深い~」と私に言っていた。私はこの長い歴史と日本の演劇界との交流をもう一度原点に立ち戻って考えるべきだと改めて思う。そして民音は今までもこれからも、架け橋であり、その存在は大きい。

私は、民音の文化交流を長年見続けて来た。中国だけでも1975年(昭和50年)より40を超える文化団体と交流を結んでいる。驚くべきことだ。そして私は、その文化団体との交流が見事に民衆と民衆の交流となって、しかも50年に亘って心の絆を作り続けて来た。そんな民音に感動している。

民音創立50周年の大きな節目に、私が民音の半世紀を振り返っていいものか、最初は戸惑いも感じたが、改めて民音との関わりの深さに驚くと共に、文化芸術を民衆が主役となって進んできた、民音の芸術文化運動に心から共感し、感動している。民音は、次の50年に向かって今また第一歩をふみ出した。民音創立100周年に向かって!!(敬称略)

2013年12月24日(火)

嶋田親一(演出家・プロデューサー)Shinich Shimada
嶋田親一(演出家・プロデューサー)Shinichi Shimada
1931年生まれ。50年、劇団新国劇文芸部入団。54年、ニッポン放送開局に参加。ラジオプロデューサー。59年、フジテレビ開局で異動。テレビディレクター、プロデューサー。67年、同編成部副部長。69年、㈱新国劇社長。71年、新制作㈱社長。76年、フジテレビ本社復帰、調査役。78年、㈱スタジオアルタ常務取締役。82年、フジテレビ退社。制作作品に「にあんちゃん」「三太物語」「北野踊り」「小さき闘い」「わかれ道」「20の赤いバラ」「さよなら鎌倉文士の館」他(以上テレビ)、「娑婆に脱帽」「江戸っ子気質」「浅草八犬伝」「瞼の母」「紅蓮」他(以上舞台)、「暁の挑戦」「ブルークリスマス」「廃市」他(以上映画)などがある。テレビの黄金期を支えたプロデューサーとして、現在も演出家、プロデューサー、講演活動、イベントなどで活躍。

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