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History of MIN-ON.

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Vol.4 民音の誕生〜日本の音楽界に、新しい風が吹いた〜 嶋田親一氏 特別寄稿

  • 民音アメリカ公演… そして島倉千代子
  • 五木ひろしと夜明け前
  • 美空ひばり永遠を生きる
  • 想い出の「民音歌の大行進」
  • 「民音浪漫劇場」秘められたドラマ
  • 全国縦断!「ロング・リサイタル」
  • テレビ民音アワーの若いエネルギー
  • 中国との文化の架け橋・民音と杉村春子

美空ひばり永遠を生きる

~ 愛と孤独とその先に ~

美空ひばりのあの笑顔がいま私の目の前にある。その声が聞こえてくる。
23回忌を迎えて2年経つのに昨日のことのように甦る。

「美空ひばりエンターテインメント あなたのひばり!私のひばり!!」(2013.7)
「美空ひばりリサイタル
~歌こそわが命~」(1968.2)
「美空ひばりエンターテインメント あなたのひばり!私のひばり!!」(2013.7)
「美空ひばりショー」
(1970.1)
「美空ひばりエンターテインメント あなたのひばり!私のひばり!!」(2013.7)
「さよなら'71民音歌の大行進」
(1971.12)

民音創立50周年記念、「美空ひばりエンターテインメント あなたのひばり!私のひばり!!」が全国を巡演し、今秋11月末に打ち上げた。
加藤和也の構成・演出。走馬燈のごとく去って行った日々が浮かぶ。「いつもおふくろと心の中で対話をしながら仕事をしています」とインタビューに答える愛息の声を、きっとひばりは幸せな微笑を浮かべて喜んでいたに違いない。

美空ひばりに初めてあったのは1955年(昭和30年)、ラジオドラマの演出をしたのがスタートであった。美空ひばり18歳。私は24歳だった。連続ラジオ時代劇「ふり袖太平記」(斎藤豊吉作)で劇中の音楽は米山正夫だった。「りんご追分」をヒットさせたドラマの再現を狙い、共演は若き日の大川橋蔵。美空ひばりは東京の撮影所、恋人役の大川橋蔵は京都の撮影所。私はひばりの相手役のセリフを一言ずつ言ってテープを編集するという、今から思えば信じられない演出だった。

10年経ってフジテレビの時代劇でご指名があった。美空ひばりの母君の加藤喜美枝という人、ひばりのプロデューサーとして世間の批判や誤解等に意を介さず、一身にうけ護っている、その強さに私は感動すら覚えていた。心底から理解するとそこは澄み切った世界である。暴風雨の上の空は穏やかな空であり宇宙がひろがるように。

私はテレビのディレクターでありプロデューサーだったその限られた時間に、全力を尽くした一人のつもりだ。美空ひばりを支える人たちはリレーのタッチのように、あらゆるジャンルから、世代を超えて集まり、美空ひばりと共に生き、やがて次の人に引き継がれていく。これは稀有なことではないか。

私の中で、この時代に忘れられない出来事がいくつかあった。まるでドラマのようなことが起こる。NHK「紅白歌合戦」への出場辞退の事件。最高の視聴率を誇る紅白は、暮れの風物詩のなかでも別格。見なければ年が明けない時代だった。本人ではないのに身内のトラブルに放送局としては、本人以上に決断に苦しんだ。その結果、ひばり側が「紅白」連続出場を遠慮する形になった。

それを知って限られた人たち、そう、6~7人が急きょ美空ひばり邸に激励に集まった。美空ひばりは愚痴や悪口は一言も発することはなかった。
「これで大晦日、家で正月を迎えられるわ」と屈託なく笑った。そのいさぎよさに私たちの方がショックを受け、その時の光景は忘れられない。

民音の美空ひばりのコンサートは、民音が誕生して5年後の1968年(昭和43年)にスタートし、70年(昭和45年)、72年(昭和47年)、73年(昭和48年)まで続いたが、そこで断念する。美空ひばりにとって最大の逆風が吹いた年であった。美空ひばり母娘は逆風に立つと信じられない力を発揮する。その一つ、私にとっては忘れられない痛快な思い出がある。

1969年(昭和44年)8月28日、フジテレビのメーキャップ室にいる美空ひばりが私を探しているという。何事かと思って駆けつけたところ、10月の大阪公演で「千姫と秀吉」、孫と祖父の芝居の配役のことだった。秀吉役の柳永二郎が出演不能になり、代役を探す緊急事態になったのだ。天下の秀吉をやれる役者はそうはいない。

ひばり母娘は新国劇の島田正吾か辰巳柳太郎に助けを求めて来たのだ。私はそのとき劇団の制作責任者でもあった。島田も辰巳もひばりと共演どころか、個人としては初対面だという。この間柄でピンチヒッターをという発想は普通あり得ないこと、最初から無理な話に思えた。だが美空ひばりには不可能という言葉はない。私は苦しまぎれで代案を考える。

10月公演といえばあと1ヶ月ちょっとしかない。その10月の新国劇は舞台ではなくテレビ出演の月だった。そこで幹部俳優の郡司良を1人加えて3人、トリプルキャストを実行した。島田も、辰巳も美空ひばりのひたむきな姿勢にうたれた。初対面はいつの間にか、祖父と孫の感情になっていった。信じられない配役が実現した。大阪のファンにはそれが大変な話題を呼んだのである。

私は思った。美空ひばり母娘は奇跡を起こす人達だ。強い信念で不可能と思われることも可能にしてしまう、私の人生観に大きなクサビが打ち込まれた。思い出はつきない。エピソードはつきることはない。

「あなたのひばり!私のひばり!!」数々のフィルムと共に美空ひばりを甦らせ、五木ひろし、森昌子、ジェロをはじめ多くの歌手達がそれに協力した。こういう企画は美空ひばりでないと出来ないだろう。そして長い空白を埋めるかのようにロングラン企画を成功させた民音とひばりプロダクションの快挙に拍手を贈りたい。(敬称略)

2013年12月12日(木)

嶋田親一(演出家・プロデューサー)Shinich Shimada
嶋田親一(演出家・プロデューサー)Shinichi Shimada
1931年生まれ。50年、劇団新国劇文芸部入団。54年、ニッポン放送開局に参加。ラジオプロデューサー。59年、フジテレビ開局で異動。テレビディレクター、プロデューサー。67年、同編成部副部長。69年、㈱新国劇社長。71年、新制作㈱社長。76年、フジテレビ本社復帰、調査役。78年、㈱スタジオアルタ常務取締役。82年、フジテレビ退社。制作作品に「にあんちゃん」「三太物語」「北野踊り」「小さき闘い」「わかれ道」「20の赤いバラ」「さよなら鎌倉文士の館」他(以上テレビ)、「娑婆に脱帽」「江戸っ子気質」「浅草八犬伝」「瞼の母」「紅蓮」他(以上舞台)、「暁の挑戦」「ブルークリスマス」「廃市」他(以上映画)などがある。テレビの黄金期を支えたプロデューサーとして、現在も演出家、プロデューサー、講演活動、イベントなどで活躍。

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