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History of MIN-ON

VOL.04 民音の誕生
~日本の音楽界に、新しい風が吹いた~

日本の歌謡界に新しい風が吹きました

嶋田親一氏 特別寄稿

民音草創期より深く関わって頂いている「テレビ黄金期を支えたプロデューサー」嶋田親一氏に民音の歴史を綴っていただきました。

4想い出の「民音歌の大行進」

~ それは年末恒例の行事だった ~

「さよなら’67民音歌の大行進」が第1回の幕開けだった。昭和42年の暮れ12月18日から21日までの4日間、会場は日本武道館。あの大きな日本武道館で歌謡ショーを催すという大胆な企画に驚いたことを覚えている。

「さよなら'67民音歌の大行進」より
「さよなら'68民音歌の大行進」より

その頃私は、フジテレビ編成部の企画のチーフとして番組全般に関わっていた。ドラマのプロデュースと演出から異動したばかりの時でピリピリしていた。この「民音歌の大行進」の構成演出は塚田茂。製作が民音、製作協力が電通とユニゾンカンパニーという布陣。NHKの「紅白歌合戦」を意識した意気込みが伝わってくる。第1回目の出演者は、当時の歌謡界の花形スターが勢ぞろいしている。

「さよなら'69民音歌の大行進」より

12月18日
ザ・ピーナッツ、園まり、佐々木新一、梓みちよ、布施明、守屋浩、島倉千代子、山本リンダ、井手せつ子、加賀城みゆき、ダニー飯田とパラダイス・キング、シンガーズ・スリー、原としはるとB&Bセブン、ダーク・ダックス、ザ・ドリフターズ、原田信夫とファイブキャラクターズ、朱里エイコ、木の実ナナ、望月浩、奥村チヨ、レオ・ビーツ、シルビー・フォックス、ザ・シャデラックス、よつば姉妹、藤本二三代(出演順)

12月19日
山田太郎、笹みどり、新川二郎、藤本二三代、日野てる子、守屋浩、西郷輝彦、山本リンダ、菅原洋一、ダニー飯田とパラダイス・キング、シンガーズ・スリー、都はるみ、ダーク・ダックス、スクール・メイツ、藤田まこと、原田信夫とファイブキャラクターズ、朱里エイコ、島和彦、レオ・ビーツ、シルビー・フォックス、ザ・シャデラックス、よつば姉妹、中尾ミエ、島倉千代子(出演順)

12月20日
三橋美智也、島倉千代子、園まり、木の実ナナ、奥村チヨ、三沢あけみ、藤本二三代、村田英雄、ダニー飯田とパラダイス・キング、シンガーズ・スリー、デューク・エイセス、スクール・メイツ、藤田まこと、原田信夫とファイブキャラクターズ、朱里エイコ、十勝花子、こまどり姉妹、望月浩、レオ・ビーツ、シルビー・フォックス、ザ・シャデラックス、よつば姉妹(出演順)

12月21日
園まり、木の実ナナ、奥村チヨ、新川二郎、伊東ゆかり、中尾ミエ、竹越ひろ子、梓みちよ、バーブ佐竹、原としはるとB&Bセブン、ダニー飯田とパラダイス・キング、シンガーズ・スリー、フォー・コインズ、原田信夫とファイブキャラクターズ、朱里エイコ、島和彦、望月浩、小松みどり、レオ・ビーツ、シルビー・フォックス(出演順)

「さよなら'69民音歌の大行進」より

あえて列挙してみた。日本武道館で4日間、歌手を入れ替えながら行っている。
そして演奏は有馬徹とノーチェ・クバーナ、白木秀雄クィンテット、キングス・ロアー、木谷次郎とブルー・ソックス、鈴木操とジャズ・キングス、舞踊は花柳徳兵衛舞踊団、司会は玉置宏が4日間を通して出演している。

盛大で絢爛豪華なショーだったに違いない。民音はこの催しを年末の恒例行事と位置づけて行っていった。民音会員の応援あればこその企画だが、1公演あたりの客席数を1万席と考えても4公演で4万人の動員となる。度胸がいる勝負だったに違いないが、同時に民音の勢いも感じる。それから7年間、年末恒例の催しになった。そしておなじみになった九段の日本武道館から8年目に浅草国際劇場にステージを移した。

ここから私との関わりも生まれてくるのだから人生はわからないものである。

「さよなら'70民音歌の大行進」より
「さよなら'71民音歌の大行進」より
「さよなら'74民音歌の大行進」より

1974年(昭和49年)は「さよなら’74民音歌の大行進」として新しく衣替えしている。美術監督に松下朗、制作に(株)シナノ企画、制作協力に新制作(株)が加わった。これはフジテレビが制作陣を社内でプロダクション化した時で、私はこの会社の責任者という立場だった。私の民音との今にいたる歴史の始まりになった。

この浅草の国際劇場の公演はなんと10日間にわたっていて、私のスタッフ達はその1日を担当だったが、すべての公演の美術監督として舞台の美術を仕切った。

公演の内容はほとんど毎日違い、初日は「当代浪曲大名人会」2日目は「懐かしの歌謡大行進」そして「年忘れ大福笑い」「あさくさ・ふぉーくむら」「ポップス・ゴールデン・ステージ」「演歌大行進」(これが2日間)「ふるさとの育てし唄・民謡」「美しいにっぽんの歌謡」そしてラストの公演が、私たちスタッフの担当した「ファミリー大作戦」だったのである。

この10日間にわたる浅草国際劇場の「さよなら’74民音歌の大行進」の演目、プログラムに時代の大きな変化の流れを同時に感じられてならない。

“歌は世につれ、世は歌につれ”と昔から言う。観客も、テレビでいえば視聴者もこの1974年あたりをピークに、これまでの歌の世界とは違った、新しい歌の世界の到来を求めて少しずつ変わっていった。

私は考える。私のようにテレビや演劇界で長い間生きてきた人間にとって、常に大衆の動向に敏感でなければならないし、時代を正しく理解しなければならない。1963年以来、民音が手掛けてきた企画には、確かに目を見張るものがあった。歌謡界に留まらず、あらゆるジャンルの音楽を、民衆に届けてきた。新しい風が吹いたと感じた人は私だけではないと思う。

そして時代の変化を捉え、時代をリードし大衆の本音を、汲みとっていく、それは都会であろうと地方であろうと根は一つだ。そしてこれからも時代は変わり続ける。民音50年の歴史には、常に「民衆のための音楽があった」と私は感じている。だからこそ時代の荒波をも乗り越えて来たのだと。 (敬称略)

2013年12月16日(月)
嶋田親一