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History of MIN-ON.

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Vol.4 民音の誕生〜日本の音楽界に、新しい風が吹いた〜 嶋田親一氏 特別寄稿

  • 民音アメリカ公演… そして島倉千代子
  • 五木ひろしと夜明け前
  • 美空ひばり永遠を生きる
  • 想い出の「民音歌の大行進」
  • 「民音浪漫劇場」秘められたドラマ
  • 全国縦断!「ロング・リサイタル」
  • テレビ民音アワーの若いエネルギー
  • 中国との文化の架け橋・民音と杉村春子

五木ひろしと夜明け前

~ 祝・芸能生活50周年 ~

あれから50年、半世紀の時が経ったのか。歌手五木ひろしを見続けてきた私には、言うに言えない想いが去来している。

2013年(平成25年)は民音創立50周年。創立記念日の10月18日、聖教新聞に五木ひろしがお祝いの言葉を寄せている。「民音が主催することで、より多くの方が幅広い音楽文化に触れることができる。音楽を楽しみ、文化を支えるようにとの、創立者・池田名誉会長をはじめ、その時代の方々の思いが脈々と続いている。リードする方と民音会員の皆さんとの思いが一つにならないと、歴史は積み重なりません。今日まで、本当にいい50年を歩んでこられたと思います。歌を真剣に愛する皆さんのお気持ちに、誰より歌を愛する一人として、これからもお応えし続けていきたいとおもいます。」(聖教新聞・平成25年10月18日付)

私はこの五木ひろしの言葉を新聞で読んで万感胸に迫るものがあった。民音50年の歴史と五木ひろしの歌手として歩んできた苦悩の日々が重なってきたのだ。

私が初めて五木ひろしに会ったのは、忘れもしない1965年(昭和40年)12月9日、その頃はまだ松山まさるの芸名を名乗っている。いろいろな人たちの応援で悲願だった初めての自主公演を、彼が浅草国際劇場で開催したときだった。

「SPECIAL SUMMER CONCERT 五木ひろし」(1990.7)
「SPECIAL SUMMER CONCERT 五木ひろし」
(1990.7)

当時私はフジテレビのプロデューサーをしていたが、部下の白鳥朝詠(ちあきなおみの“四つのお願い”や都はるみの“好きになった人”をヒットさせた作詞家でもある)がお膳立てした部分もあり、それが縁でめぐりめぐって私の実弟が初代マネージャーを担当することになる。

五木ひろしは本名松山数夫。1948年(昭和23年)3月14日、福井県三方郡生まれ。その時が、夜明け前というべき人生の出発点だった。

私は今想う。成し遂げようと努力しても、時々でいろいろな風が吹く。人間の枠をこえた何かがある。やがて松山まさるが巣立っていく姿を私は万感の想いで見送ることになる。出会って2年もたっていなかった。新たな天地を求めて闘いの荒波に飛び込んでいった。私の弟も新たな人生を歩みだした。

その後、一条英一、三谷譲と芸名を変え、懸命に生きた話を聞いた。

1971年(昭和46年)春。弟からフジテレビのデスクに電話が入る「“よこはま・たそがれ“でデビューした五木ひろし」と、弟の声が興奮している。
「五木ひろしがどうした?」私はオウム返しに答える。
「まさるなんだ。五木ひろしは、まさるだったんだ。」弟の声は涙ぐんでいた。

数日後フジテレビの受け付けから連絡が入る。「五木ひろしさんが面会です。」私はこの日のことが昨日のことのように思い出される。
五木ひろしは白い上衣で見違えるような明るい笑顔で立っていた。
「色々有難うございました。」私はこの日のことは忘れない。ずっと心の奥にしまっていた重い荷物が一瞬のうちに跡形もなく消えていくのを感じた。
「ありがとう!」私は自分で運命を切り拓いた五木ひろしの誕生を目のあたりに見た。彼のデビューを応援しきれなかった私たちにも礼を尽くす真摯な姿に感動した。正に事実は小説より奇なりとはこのことだと思った。

そして、五木ひろしとしての輝きは日に日にその座を不動のものにしていく。
五木ひろしも私の出身地新国劇の舞台に接したようで、彼の“瞼の母”など、新国劇の匂いが漂っていて私はふしぎな感慨にひとりふけった。これもまた縁というべきではなかろうか。その絆は五木ひろしと弟との若き日の思いから生まれたものに違いない。

暮れの紅白歌合戦もやがて出場の記録を破るだろう。そこに至る道のりには想像を超えた努力とさまざまなドラマがあったに違いない。忘れられない光景がある。

その頃私は美空ひばりの連続テレビ時代劇の演出をしていた。ひばり邸での台本の打ち合わせは夜遅い。その夜も9時頃スタッフと行くと、茶の間で五木ひろしが慌しくお茶漬を食べていた。私を見ていたずらっ子の顔になった。

「SPECIAL SUMMER CONCERT 五木ひろし」(1990.7)
「美空ひばりエンターテインメント
あなたのひばり!私のひばり!!」
(2013.7)

「これからレコードの吹込みだって。こんなにおそい時間に録音だなんて・・声は命、レコードはずっと残るのよ。」誰ともなしにつぶやいたその言葉に、ひばりの厳しさと優しさを垣間見た思いがした。このとき五木ひろしは悩んでいた時らしい。次のハードルを乗り越えなければならない岐路にたたされていたのだ。
美空ひばりはスタジオに向かう五木ひろしを見送って私に言った。
「五木ひろしが男でほんとによかったわよ」
天才は天才が判る。五木ひろしを誰よりも認めていたのだ。ひばりはニッと笑って首をすくめた。
ひばりの本音をどこまで感じていただろうか?

そんな五木ひろしも、今年は民音が主催する「美空ひばりエンターテインメント あなたのひばり!私のひばり!!」に出演している。ひばり邸の思い出が込みあげてくる。

五木ひろしの新年は芸能生活50周年の幕開けになった。頂点を登りつめると人間は孤独になる。50年の重さもある。でも五木ひろしなら、どんなことでも乗り越えて行くにちがいない。(敬称略)

2013年12月7日(土)

嶋田親一(演出家・プロデューサー)Shinich Shimada
嶋田親一(演出家・プロデューサー)Shinichi Shimada
1931年生まれ。50年、劇団新国劇文芸部入団。54年、ニッポン放送開局に参加。ラジオプロデューサー。59年、フジテレビ開局で異動。テレビディレクター、プロデューサー。67年、同編成部副部長。69年、㈱新国劇社長。71年、新制作㈱社長。76年、フジテレビ本社復帰、調査役。78年、㈱スタジオアルタ常務取締役。82年、フジテレビ退社。制作作品に「にあんちゃん」「三太物語」「北野踊り」「小さき闘い」「わかれ道」「20の赤いバラ」「さよなら鎌倉文士の館」他(以上テレビ)、「娑婆に脱帽」「江戸っ子気質」「浅草八犬伝」「瞼の母」「紅蓮」他(以上舞台)、「暁の挑戦」「ブルークリスマス」「廃市」他(以上映画)などがある。テレビの黄金期を支えたプロデューサーとして、現在も演出家、プロデューサー、講演活動、イベントなどで活躍。

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