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History of MIN-ON.

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Vol.3 「民音音楽博物館」の歴史~「民音音楽資料館」の発足から~
スペシャルてい談

  • 創設の経緯と目的
  • 創設の準備
  • 音楽資料の収集
  • 古典ピアノの保存
  • 東京都の登録博物館へ
  • 世界からの注目
  • これまでの企画展示
  • これからの民音博物館
  • 民衆のための音楽を目指して

創設の準備

――― 民音音楽資料館の創設準備は、どのように進められたのですか?

小川昂先生
小川昂先生

上妻:最初は、すべてが手探り状態でした。開館するために、「じゃあ、どうやったら良いのか」ということで、図書館としての専門的な知識も必要になってくるので、音楽学者の方々に、色々とご意見を求めたところ、当時、NHK資料センターのセンター長で、NHK交響楽団の事務長も務めておられた、小川昂(おがわたかし)先生が適任であるということで、ご指導を仰ぐことになりました。昭和49年11月に開館しましたが、その前年の昭和48年から設置委員会を創って、そこから小川先生に来て頂き、準備を始めたわけですね。

小川先生は、西洋音楽に関する資料を収集する際、求められている資料を体系的に集める手法をよくご存知で、ライブラリアンとしては、大変に抜きん出ていらっしゃいました。私も色々と教えて頂きましたし、私の先輩も一から教えて頂きました。当時、主任であった中村も、図書館司書の資格をとるために、必死に勉強しました。

北新宿の「旧民音会館」
北新宿の「旧民音会館」

小林:音楽図書館をつくる際に、重要なポイントは三つあると。
まず一つ目は「資料」。資料は減ることはなく、永続的に増え続けていくものですから、資料の確保は重要だと。小川先生は、「資料館を立ち上げたからには、止められない」と何度もおっしゃっていました。 二つ目は「人」。収集した資料を、きちんとまとめ、仕分けできるかどうかという、「人」の問題、つまり、資料を管理できる司書のこと。当時、私の先輩たちは、本当に厳しく教えて頂いたようです。いまだにその話は、聞いております。
三つ目は、「スペース」。どんどん増え続ける資料を保管し、恒久的に管理するスペースを確保することが大事だと。実は、当時、北新宿の旧民音会館は、前身が、高校の校舎だったので、教室がいっぱいあったものですから、スペース的にも問題ないだろうということだったんですね。

当時は、大変でしたけれども、音楽図書館をつくるための不可欠な三つの条件を備えることが出来るであろうということで、準備を進めていったというのが、当時の状況です。

上妻:もうひとつ、準備に入りまして、何が大変だったかといいますと、すべてがゼロ(まるっきり何もないところ)からのスタートだったものですから、まず、資料を集めなくてはならなかったことです。当時、主任司書の中村が、資料を収集する任を受けて、全国古書店地図と大きなリュックサックを手に、北海道から九州まで、全国の古本屋さんを回って、音楽書を集めました。リュックサックが一杯になると、最寄りの駅から、東京まで送るということを繰り返し、昭和48年の夏から、昭和49年の11月の開館までの間に、2,500冊の音楽書を集めることができました。

小林:その当時の公共的な音楽図書館としては、上野の東京文化会館に東京文化会館音楽資料室がありましたね。

海老澤敏先生(以下、海老澤):その資料室はいつから始まったんですか?30年代ですよね。最初からあったんですかね。

小林:そうですね。そういう意味では、東京文化会館は、老舗ですけれど、上野ですから、東京の“東部”に位置する資料館だったため、民音音楽資料館は、東京の“西部”の公共音楽図書館を意図して開館しました。また、東京文化会館は、利用者は東京都民でなければならない、という制約があったようですから、もっと気楽に、全国的、公共的な音楽図書館として利用していただけるような存在にしようではないかという意味合いもありました。

上妻:そういう意味では、専門家の方だけでなく、一般の愛好家の方にも大変喜ばれたんじゃないかと思うんです。当館もおかげ様で35年経って、ライブラリーも、市民権を得て、皆さんに良く知られる存在となり、利用して頂いております。東京文化会館と民音音楽資料館は、ひとつの公共的な意味合いで、一緒に進めることが出来たんではないかと思っています。

――― 民音音楽資料館の創設にあたって、海老澤先生にも色々とご意見を頂いたようですが・・・。

海老澤先生
海老澤先生

海老澤:何度かあちら(北新宿の旧民音会館)に伺ったことがあります。よく覚えています。小川さんについては、NHKの資料センターにいらして、その後、N響の方も責任者をなさっておられました。私も大学院生のときから「フィルハーモニー(N響の定期演奏会プログラム)」に執筆していたんですね。小川さんとは、NHKとN響でも親しくさせて頂いたので、その小川さんが、こちら(民音)にいらっしゃったということで、小川さんからも色々とご相談ということではないのですが、何べんも話をしたことは、覚えております。ただ、私は、どのくらいお手伝いできたかな・・・と思っております。

――― 海老澤先生は、民音音楽資料館が開館する当時、国立音楽大学付属図書館の館長をされていらっしゃいましたが、その当時の音楽大学図書館についてお聞かせ下さい。

海老澤:はじめに、私の場合は、大学では美学専攻でしたけど、それ以前は文学少年だったものですから、国文学国語学も学びました。国文学の権威で、久松先生という大学者がいらっしゃって、単位を沢山とり、勢いで国語の免許をとって、中学校で一年間、講師で教えていたことがあるんです。ただやっぱり、美学で音楽をやっていましたから、免許状がなくても教えられるのが大学ですので、フィルハーモニーの編集者の延命千之助さん、有馬大五郎先生、野村良雄先生もお願いして下さって、国立音楽大学の講師になりました。行きましたら、とにかくひどいんですよ。昭和24年から新制大学でしたが、あの頃は、文部省の規定で、一般教育資料として、人文、社会、自然科学の3部門の必要文献が、1,500部ずつ。それから、専門書が3,000冊とかあるんですけど、行ってみたら、本当にひどいんです。第九の合唱譜を1部ずつ勘定していた。びっくりしましたね(笑)。

専門書は、有馬先生がウィーンに留学して、古本屋で「ここからここまで、棚を全部」といった形で買ってこられて。音楽に関する専門書だけでなく、いろんなものが入っていましたけど、それを、そのまま専門書にしていたんですね。中には、ルソーの全集版なんかもありました。これではいけないということで、「大学の改革」を楽譜や研究書の蒐集から始めました。資料的なことにはその頃から、もう関心を持っていました。当時は、図書館というよりは、図書室という感じでした。資料に関しては、自分の個人的な研究も含めてですが、必要だというのは、よくわかっていて、留学する前から、「大切だ大切だ」と言っていました。その頃は、国立もあまりやってくれなかったんですけど、校舎を建て替えて、3階建ての校舎にしたときに、はじめて、図書館を作ったんですね。そのあたりから、図書館作りの出番も出て参りましたね。

大学の図書館ですから、一般教養科目もありますし、専門書、楽譜も、数多く揃えなければと考えました。国立もはじめからお金があったわけではないですからね、最初はあまり集まりませんでした。東大のことも話さないといけませんね。33年に東大のマスター(修士課程)を出て、ドクター(博士課程)に行きたかったのですが、教授はまだ誰もドクターコースに入れなかった。その代わり助手にして下さった。その当時は、音楽の本が少ない。古い洋書はありましたけど、日本書はその当時、あまりなかったんですね。それで、助手時代に、オイレンブルクのポケットスコアを全部、アカデミアから買ったり、楽譜も増やしたりと、そういうのを助手の仕事としてやりました。国立でもそうでしたので、だんだんと慣れてきました。

――― その後、海外に留学されて、当時の欧米と日本の図書館の違いを実感されたことがおありだったとか?

海老澤:最初に海外に行ったのが、1962年。パリ大学の音楽学研究所に留学しました。ルソー研究のために行っていたんですね。パリにいる時は、コンセルヴァトワール(国立高等音楽院)も良く行っていました。
1795年創設の、近代の一番最初の音楽院です。図書館と同じところに、楽器博物館が入っていたんですね。最初から図書、楽譜と理論書と楽器を大切にして、図書館の司書の方が教授よりも給料が高かったんですよ。そのように創設時の学則の中にも書いてありました。

パリ大学の音楽学研究所も文献が揃っていました。64年には、日本に帰ってきたんですけど、その当時で、そういう歴史的な理論書・・本と楽譜はありましたね。今は、古い文献は国立図書館の方に、移ってしまいましたけど。学生と先生も含みますけど、勉強用の図書館、プラクティカル・エディション、実際に使うような楽譜が容易に借りられたり、使えたりという風になっていました。楽器だけは、古い楽器、古今の楽器を収集するというのは、学則に書いてありまして、そちらに行くとそういう歴史的な資料が見られたんですね。

それから、楽譜など、貴重なものは、パリの国立図書館に行けば見られる。いろんな作曲家、楽譜とか楽器については、エピソードが色々ありますけどね。そういう触れ方を最初にしたので、音楽を勉強するためには、本と楽譜、楽器というのが、非常に重要だと認識しました。作曲家、演奏家にとっては、勉強するには、楽譜、楽書がいかに必要欠くべからざるものか、そうした資料がいかに重要か、ということを身にしみて体験しました。

ところが、日本では、国立に教えに行って、勇んで、図書室に行ってみたら、楽譜がまったく揃っていなかった。当時、音楽辞典が出始めて、「MGG」というドイツの音楽辞典が、分冊で入ってき始めたぐらいで、「グローヴ(イギリスの音楽辞典)」も入っていない。国立ですら・・・。おかしいじゃないかと、学務部長(理事長としては私の前任者)に申し上げたら、理事会にかけて了解を取りますと、そういう時代でした。今は隔世の感がある。外国に行きますと、とにかく歴史の厚みがあり、とても日本は、比べものにならない。

やっぱり、これでなきゃいけないと留学から帰ってきてから、国立(くにたち)で大学院もできるし、当時の理事長先生を脅かしてしまい、「大学院作るには、これだけ文献資料購入の予算が要ります」と申し上げたら、「分りました」とおっしゃって。高価な図書や楽譜も増やしていきました。

海老澤:そうそう、こちら(民音音楽資料館)がまだ草創期の頃に、小川さんと会合がありましてね、お伺いして色々お話した記憶がありますが、当初は、何もないなという感じでした。その頃、もう国立は、色々と集めていましたからね。そういったことで、小川先生にも、民音にも、少しはお手伝いができたかな・・・と思っています。

上妻:本当にゼロからのスタートでしたからね。何を集めたらよいか学びながらですよね。当時、小川先生から、最低でもこれだけは必要だと言われた資料は、一生懸命探して歩きました。藤井肇さんのように協力して下さった先生方もいらっしゃいましたし、使っていた楽譜を寄贈して頂いたり・・・そういった形で、少しずつ増やしていったという感じです。

海老澤:こういう図書館、資料館は、寄贈というものが重要なんですよね。最近はどこも書庫がいっぱいで、寄贈は迷惑だという時代になっちゃいましたが、それも変わりましたね。

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