ボローニャ歌劇場室内管弦楽団 川畠成道/ヴィヴァルディ「四季」 民音トップページへ
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■ ボローニャ歌劇場室内管弦楽団(管弦楽)
 楽団が生まれた当初の活躍の経歴は、1966年から1969年にまでさかのぼる。そして1970年、素晴らしい出会いとチャンスの訪れによっ て、ボローニャ歌劇場が正式に室内管弦楽団を結成。まさにそれは、文化と一流芸術を推進する役割を担って誕生し、“ボローニャ歌劇場・ フィルハーモニック(室内管弦楽団)”と命名された。 そして、ヴィヴァルディ研究者としても著名であり、ジャン・フランチェスコ・マ リピエロの愛弟子でもある、アンジェロ・エフリキアンが指揮者として選出されたのである。
その後の鍛錬とめざましい活躍を経て、“ボローニャ歌劇場室内管弦楽団”は、たちまちにして、イタリアに存在する実力あるオーケスト ラのうちの1つに数えられた。こうしてイタリア国内の数多くの主要コンサートにおいて彼ら奏者たちはその名を連ね、また、海外からの 招聘についても大変多くの機会に恵まれている。これまでの経歴としては、ユーゴスラビアにて公演、リプシアで開催された“Bach Fest” や、ベルリン・フェスティバル、ブラディスラバ・フェスティバル(スロバキア)、ドレスデン・フェスティバル、ムジークフェライン・ フェスティバル(ウィーン)に参加、また、ブダペストのリスト音楽アカデミーでの演奏、ヴィヴァルディ没後300年祭参加、モナコでの 長期ツアー、スイス・ドイツでは、ケルン、フランクフルト、ボン、シュトゥットガルト、バイロイト、その他多くの都市で公演を実現。
マエストロ・エフリキアン氏 が他界した後も、“ボローニャ歌劇場室内管弦楽団”は、その存続を芸術的遺産として継承。まさにそれが、 イタリアで唯一、これほどまでに長い時の流れの中で室内管弦楽団として存在し続け、高い評価を受けてきた要因の1つなのである。1985 年から1986年にかけては、マエストロ、マウリツィオ・ベニーニの指導のもと、“ボローニャ歌劇場室内管弦楽団”は、つくば万博を機に 日本公演を実現し、ユーゴスラビア長期公演の実現、ドブロブニック国際フェスティバル、リュブリャーナ国際フェスティバル(スロベニ ア首都)に参加。スイスにおいては、ウェンゲン国際フェスティバルにも参加。
1989年には、リッカルド・シャイーと、デッカとのコラボレーションにより、CD製作を手がけた。処女作品としては、ヴィヴァルディ の四季を収録したCD(ソリスト:フランコ・グッリ)を発売。続いて、ロッシーニの“6つのソナタ”を収めた2枚組みCDを製作。また、 精力的な活動を続ける“ボローニャ歌劇場室内管弦楽団”の中で、フランコ・グッリのみならず、ミッシャ・マイスキー、ジャン・ピエ< ール・ランパル、ルッジェーロ・リッチ、ボブ・ファン・アスペレン、ブルーノ・カニーノ、ミケーレ・カンパネッラ、ドミトリー・アシ ュケナージ、イェルク・デームスといった、イタリア国内でも国際的にも有名な多くのソリストたちが招へいを受けている
また1992年の秋に、マエストロ・ロドルフォ・ボヌッチ率いる“ボローニャ歌劇場室内管弦楽団”は、ボローニャ大学のサンタ・ルチ ア、 アブシダーレ・ホールにおいて室内管弦楽団コンサートシーズンを実現。続く、93/94年、94/95年、95/96年の各シーズンにおいても、 大成功を博した。
2000年の春、“ボローニャ歌劇場室内管弦楽団のソリストたち”が再び日本公演を行い、東京、大阪において演奏会に出演。近年では、 第42回大阪国際フェスティバルに参加し、大好評を博した。

■ 川畠成道  
1971年11月21日東京生まれ。
10歳よりヴァイオリンをはじめ、12歳で毎日新聞社主催第38回日本 学生音楽コンクール入賞。以来、数々のコンクールで入賞を果たして いる。桐朋学園大学卒業後、英国王立音楽院へ留学。
1996年英国王立音楽院協奏曲コンクール第1位。
1997年四半世紀に一度開催される英国王立音楽院175周年記念 コンサートでソリストとして演奏する栄誉に浴し、その演奏は高い評価 を受けた。同音楽院史上二人目となるスペシャル・アーティスト・ステ イタスの称号を授与され、主席で卒業。
デビュー以来、小林研一郎、外山雄三、サリウス・ソンデツキ、尾高 忠明などの指揮のもと、日本フィル、東京交響楽団、サンクトペテル ブルク室内管弦楽団などと共演。デビュー・アルバム「歌の翼に」が 10万枚という記録的大ヒットとなり、続くセカンド・アルバム「アヴェ マリア」も、再びヒットチャート1位を連続記録するなど、圧倒的な人気 を誇っている。
8歳の時、アメリカ旅行中に風邪薬の副作用で視覚に障害を持ち、今日に至る。現在は耳からの情報のみで勉強を重ね、イギリスを本拠 に国際的な演奏活動を展開している。

■ ロドルフォ・ボヌッチ(指揮)
国際的に有名なヴァイオリニストであり、オーケストラの指揮者としても成功を博す。17歳を迎えてすぐに、レザーノ・ファザーノ(イ・ ムジチ)が指揮する“ヴィルトゥオーズィ・ディ・ローマ”の楽団に呼び寄せられる。ソリストとして活躍し、イタリア及び、海外の主要会場では彼の奏でる音が響き渡った。(パリのサール・カヴォー、プレイエル、ボンのベートーヴェン・ホール、べルリンの祝祭フィルハーモニック、ジュネーブ音楽院、ブダペストのヴィガドー、カンヌ、チューリッヒでのフェスティバル、バルセロナ、グラナダ、ウィーン等。)
1990年、アメリカ・ニューヨークのカーネギーホールで2回公演されたコンサートにて華々しいデビューを飾る。その後、ブルックリン・フィルハーモニックに招聘され、アメリカで初のフォーレの演奏を行う。続いてサンフランシスコ、そしてデトロイトではベートーヴェンの10のソナタを演奏し、マイアミでも公演。南米ではブラジル全土で演奏した。(ブラジリアでは1万人の聴衆を前に、チャイコフスキーの演奏を行った。)また、ブエノスアイレス、コルドバ、モンテヴィデオ、カラカス、メキシコシティの各地でも公演を行った。デュオとしても、数多くの奏者と組み、ブルーノ・カニーノや、イェルク・デームス、ジェルジュ・シャーンドル等と演奏を行う。ブルーノ・カニーノと共に、フォーレ作曲「ヴァイオリンのためのコンサート曲」、スカルラッティ作曲「ヴァイオリンとコントラバスのためのソナタ」を収録。あまり扱われることのなかったこれらの作品の再発見に貢献。また、多くのCD収録を手がけた。例えばロカテッリのヴァイオリン・アート全作品(サンタ・チェチーリア室内管弦楽団・4枚組CD)、ヴィヴァルディの四季、スカルラッティのソナタ、ダッラ・ピッコラの室内楽、(カニーノとのコラボレーション)、マルトゥッチ、レスピーギ、ゲディーニ、ドニゼッティ、フェッラーラ等が挙げられる。ロドルフォ・ボヌッチは、ここ近年でソリスト活動のかたわら、指揮者としても活躍し始める。多くの室内管弦楽団を指揮。(サンタ・チェチーリア、ライ・ディ・ローマ、ボローニャ・フィルハーモニック、ザルツブルク・チェンバー・ソロイスツ、ブエノスアイレスのソリスティ・テレマン、ブダペストのファッローニ等。)また、交響楽団も指揮する。ブラジリア交響楽団(数年間、毎回招聘)、コルドバ・フィルハーモニック、ポメリッジ・ムズィカーリ・ディ・ミラノ、ジェノバ・フィルハーモニック(ウクライナ)、ザルツブルグ・CISオーケストラ等の指揮をとる。最近指揮したオーケストラは、ルッジェーロ・リッチの招聘で、偉大なイタリア系アメリカ人ヴァイオリニストの80歳の誕生日を祝う演奏会で、ザルツブルグにて開催された。ビルケント・シンフォニー・オーケストラ(アンカラ)には毎回招聘されている。
アンジェロ・エフリキアンが創設した歴史ある楽団、ボローニャ歌劇場室内管弦楽団の指揮者・ソリストを長年務めた後、1995年“ソリスティ・ディ・ボローニャ(ボローニャ歌劇場・室内管弦楽団)”を創設。そしてまもなくイタリア国内・海外においてその演奏を世に認められる。
1992年から1996年まで、ボローニャで“イ・コンチェルティ・ディ・フィラルモニチ”(その後、“ソリスティ・ディ・ボローニャ”に改名) のアートディレクターを務め、多くの奏者たちをみてきた。例えば、メニューイン、ポゴレリッチ、ブリーム、イエペス、リッチ、シャン ドラ、カニーノ、デームス、ヴァン・アスペレン、ジルベルト、レオンハルド、サヴァール、フィエーレ、その他多数。ソリスト・指揮者と して、定期的に“イ・ソリスティ・アクイラーニ”楽団とコラボレーションを組む。ジャンアンドレア・カヴァッツェーニ交響楽団では、 創設期から指揮をしている。2000年6月、その芸術的貢献に対し、大統領よりイタリア共和国騎士勲章の名誉が授与された。2003年より再び、顧問指揮者としてボローニャ歌劇場室内管弦楽団の指導にあたる。