[ NEWS ]
対談「被爆ピアノが奏でる平和への調べ」
被爆ピアノが奏でる平和への調べ
本年(2025年)は、戦後80年を迎えると同時に、広島・長崎での被爆80年の節目でもあります。被爆二世として、これまで被爆ピアノの修復とコンサートを通じて平和活動を行ってきた調律師の矢川光則さんと、矢川さんが修復・調律した被爆ピアノとともに全国各地でコンサートを行っているジェイコブ・コーラーさんのお二人に、音楽と平和をテーマに語り合っていただきました。
◆聞き手:南部健人
◆取材日:2025年5月20日(火)
◆会 場:静岡市清水文化会館マリナート
被爆ピアノの豊かで繊細な音色
――おふたりの最初の出会いはいつでしたか。
ジェイコブ:
2021年、僕のYouTubeの演奏動画を見た広島のもち麦生産者さんから「私たちのもち麦畑でピアノを演奏しに来てくれませんか」とオファーがあったんです。その際、「近隣の矢川さんの被爆ピアノを借りてください」と紹介されたのです。
矢川:
電話をくれた時、はじめて被爆ピアノを演奏するなら、もち麦畑だけでなく原爆ドーム前でも演奏しませんか、と誘いましたね。
ジェイコブ:
その後、もち麦畑での演奏は22年5月に実現。原爆ドーム前での演奏は一足早い21年12月にご招待され、この日はじめて矢川さんにお会いでき、被爆ピアノを弾かせていただきました。
矢川:
一曲目に「荒城の月」を弾いた時は、少しびっくりしたけれど、その夜はちょうど月が出て、とてもきれいでした。
ジェイコブ:
他に準備していた曲はたくさんあったのですが、あの日、矢川さんと話して、原爆ドームを見て、会場の雰囲気に触れて、ぱっと思い浮かんだのが「荒城の月」でした。
――初めて被爆ピアノを弾かれた時はどういった心境でしたか。
ジェイコブ:
アメリカ人の僕が、原爆ドームの前で被爆ピアノを弾くということで、どういった気持ちで本番に臨めばいいのか、すごくプレッシャーを感じていました。そうした中で、本番前に矢川さんとお話しをして、〝平和の願いを胸に、目の前のピアノに集中して演奏しよう〟と思うことができたんです。
矢川:
たくさんある自身のオリジナル曲から平和の曲を選んで演奏してくれたよね。ジェイコブなりに平和について真剣に考えた上で、被爆ピアノと向き合ってくれたのがよく伝わってきました。
――音楽的な観点から、被爆ピアノにはどういった特徴があるのでしょうか。
ジェイコブ:
そもそもピアノというのは一台一台が違っていて、それぞれと〝友達〟になる必要があります。その上で、被爆ピアノは、繊細なタッチで音の強弱を表現できるのが特徴的です。また、音色も華やかな音や深い音など、高音から低音まで豊かな表現ができます。例えば、普通のピアノではあまりいい音にはならないような弾き方でも、被爆ピアノだったら絶妙なニュアンスが表現できる。僕としては、これは別の楽器だと考えたほうがいいというくらいの気持ちで演奏しています。
矢川:
戦前に作られているので、今のように機械生産ではなく、良質な材料を使った手作りのピアノなんです。
修復を手掛ける際には、被爆ピアノとしての歴史を大切にすることを心掛けています。技術的には古い部品をすべて取り換えてリニューアルすることも可能です。ただ、それをしてしまうと、今のピアノと変わらない音になってしまうんです。人と同じように、被爆ピアノにも一台ずつ歴史があります。ピアノに宿る歴史を伝えていくことを思うと、できるだけ被爆当時の材料のまま、必要最低限のメンテナンスを行うようにしています。
平和の種まき
――あらためて、矢川さんが被爆ピアノを通じた平和運動を始めたきっかけを振り返っていただけますか。
矢川:
私は戦後の広島市に生まれた被爆二世になります。ただ、小さい頃から原爆や平和について強く意識してきたわけではありませんでした。
私が調律師として働き始めた頃は、ちょうど日本の高度経済成長期と重なっていて、特に昭和40年代から50年代にかけては、ピアノがたくさん売れました。世界の約半分のピアノが日本で生産されていたような時代です。業界には仕事があふれていて、調律師としての給与も右肩上がりでした。当時の私は過去の苦しい歴史よりも、未来に関心があったのかもしれません。
その後、私はピアノの修理工房を構えたのですが、98年に最初の被爆ピアノの修理を託されました。ピアノに残るガラス片がささった傷痕やヘコミなどを見て、原爆というのは、人間だけでなくピアノも被爆させたのかと悲しい気持ちになりました。そのピアノを演奏ができる状態にまで修理しました。
その後、縁あって2001年8月6日に広島で行われた音楽イベントで被爆ピアノの演奏をしてもらったところ、ものすごい反響をいただいて、こういった平和運動なら自分にもできると思って今の活動を始めました。
ジェイコブ:
矢川さんが被爆者の思いを受け継いで、全国各地で被爆ピアノの演奏を通して、平和のメッセージを伝えていることを、心からリスペクトしています。本当に素晴らしいです。矢川さんと出会ってから、僕も平和に貢献する仕事をしたいとインスパイアされています。
矢川:
終戦から80年を迎える今、戦争経験者や被爆者の高齢化が著しく進んでいます。今、私の工房には7台の被爆ピアノがあります。とりわけ、若い世代に戦争の記憶をどう伝えていくかを考えた時、被爆ピアノの役割はますます大きくなっていくでしょう。これからも被爆ピアノの演奏を各地で行い、平和の種まきをしていきます。
ジェイコブ:
今も鮮明に覚えているのですが、原爆ドームの前で初めて被爆ピアノを演奏した時、その場にいた人たち同士で、平和へのエネルギーを感じ合うことができたんです。その時、僕にできるのは、音楽を通して平和を感じる瞬間を作り出すことなんだと気づきました。それからは他のピアノを弾く時も、その瞬間を強く意識するようになりました。
矢川:
ジェイコブは、僕の仕事や被爆ピアノの歴史をよく知ってくれていて、被爆ピアノの持ち味を最大限に引き出してくれています。ジェイコブの演奏を聴くと、ピアノが喜んでいるなと感じます。
――最後にメッセージをお願いします。
矢川:
実際に被爆ピアノを見て、音を聴いていただく中で、平和について正面から考えるきっかけになってほしいです。被爆ピアノの音色から、さまざまなメッセージを感じ取ってくださることでしょう。人間の命のいとおしさを感じていただけたらと、心から願っています。
ジェイコブ:
僕はどんなライブであれ、常にその場と瞬間にあわせた演奏をしたいと思っています。だから同じ曲でも、同じように演奏することはありません。その中でも、被爆ピアノを演奏するコンサートでは、会場の皆さんと共に平和を感じながら、エネルギーを交換したいと願っています。いつか読者の皆さんとお会いできる日がくるのを楽しみにしています。
【プロフィール】
矢川光則(株式会社矢川ピアノ工房 代表取締役)
1952年、広島県広島市生まれ。ピアノの調律師として、ピアノの修理を行っている中、98年に1台の被爆ピアノを託されたことをきっかけに、2001年から被爆ピアノ全国巡演コンサートを開始。これまでに、日本全国で3千回を超えるコンサートを行う。10年には、ニューヨークのグラウンド・ゼロ(9・11で被害にあった世界貿易センタービル跡地)、さらに17年にはノルウェー・オスロでのノーベル平和賞記念コンサートでも被爆ピアノによる平和への調べが奏でられ、その活動は海外にも広がっている。21年には、自身のピアノ工房敷地内に「被爆ピアノ資料館」を創設。被爆ピアノのコンサートを通じた平和教育活動を続けている。
ジェイコブ・コーラー(ピアニスト)
1980年、米国アリゾナ州・フェニックス生まれ。多数のクラシック・ピアノ・コンクールで優勝後、ジャズクラブでバンド活動を始め、ジャズの才能を開花させる。2009年に来日。人気テレビ番組内の『ピアノ王決定戦』で2度優勝、超絶技巧派ピアニストとして注目を集める。厳選した映画音楽を、超絶ジャズ・アレンジと美しいタッチで奏でる極上のピアノ・アルバム『シネマティック・ピアノ』をはじめ多数のアルバムを精力的にリリース。24年3月には、国立競技場で開催された「未来アクションフェス」で、約7万人の観衆に被爆ピアノで『戦場のメリークリスマス」を演奏。YouTubeのJacob Koller/The Mad Arrangerチャンネル登録者数は32万人、Jacob Koller Japanチャンネル登録者数は34万人、総再生回数は1億4千万回を突破。


