19世紀から20世紀に彗星のごとく現れたバレエの変革者ヴァスラフ・ニジンスキー。天才ダンサー&コレオグラファーとしてモダン・バレエの源流をつくり、振付家の時代が築かれていった。そしてその系譜は、ノイマイヤーへと確かに受け継がれてきたのである。今、世界の頂点に立つ振付家ジョン・ノイマイヤーが、2000年、ニジンスキー没50年を期して特別な思いを寄せて創作した天才ダンサーの“魂の伝記”がついに日本で初演される。
この作品は、20世紀の最も優れた芸術家の一人であるヴァスラフ・ニジンスキーの生涯と伝説に基づくものである。ニジンスキーはダンサーとして人気と名声を博した。同時代にこの意味で彼に匹敵するのは、ルドルフ・ヌレエフしかいない。しかし、ニジンスキーは振付家として新たな方向性を見出した。彼は、現代の振付法への道を示す舞踊の概念を確立したのである。
ジョン・ノイマイヤーはニジンスキーという人物とその運命に着想を得て、1979年に短いバレエ作品「ヴァスラフ」を作った。そして、このポーランド系ロシア人ダンサーの没後50周年にあたる2000年、最高の芸術家であり、謎めいた一人の人間であるニジンスキーをたたえる全幕ものの作品を世に送り出した。
「ニジンスキー」と題されるこの作品は、ノイマイヤーにとって振付家になって以来ずっと人生の一部であった舞踊界の異才に対する「振付法的アプローチ」である。
ヴァスラフ・ニジンスキーは、ダンサーとして活躍したおよそ10年の間に技術面・表現面の双方で新たな基準を生み出すとともに、振付家として現代舞踊への道筋を示した。自身の運命と精神疾患によって、彼は妻の世話を受けながら生涯最後の30年をいくつもの精神病院で送ることを余儀なくされた。そのことが、彼の短い芸術家としてのキャリアをますます輝かしく、センセーショナルなものにしている。 |
ダンサー、振付家、そして人間としてのニジンスキーの3つの側面すべてが、このジョン・ノイマイヤーの最新作の出発点である。1979
年にすでに短いバレエ作品「ヴァスラフ」を発表したノイマイヤーは、世界でも指折りのニジンスキー専門家とみなされている。それでも舞踊界の伝説となっている人物を、舞踊を通してたたえることに躊躇しなかったわけではない。「歴史的人物についての作品を作るときは、どの側面に焦点を当てるべきなのかを考える。彼は本当は何者だったのか。一人の男か、芸術家か。どの証言や情報が信用できるのか。どのような理論に従ったらいいのか。ニジンスキーという複雑なパズルに、どの視点から取り組んだらいいのか。それを直感的に選択しなければならないのだ……」
このバレエの音楽的基盤を形づくるのは、主にリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」と、ドミートリ・ショスタコーヴィチの「交響曲第11番」(副題「1905年」)の2作品である。ほかに、ショパンの「前奏曲ハ短調」とシューマンの「カーニヴァル」という2つの短いピアノ曲が序幕に、さらにショスタコーヴィチの最後の作品「ヴィオラとピアノのためのソナタ」のアダージョの楽章が使われる。
「ニジンスキー」は伝記的なバレエではない。「バレエ作品はドキュメンタリーにはなり得ない」と、ノイマイヤーは言う。「基本的には魂の伝記であり、意識と感情の伝記である。事実か創作かにかかわらず、特定の状況が提示されることもあるだろう。しかし、これは物語的な作品ではない。ひょっとしたら一つの完結したバレエでもなく、ニジンスキーという壮大なテーマへの振付法的アプローチの集まりと言えるかもしれない。結局のところこれはバレエであり、それ自体が芸術作品なのであって、たとえニジンスキーについて何一つ知識がなくても、わかりやすく、楽しめて感動的な作品であるということが重要なのだ」
舞台は、ニジンスキーがダンサーとして最後の公演を行なったサンモリッツのホテル、スヴレタ・ハウスの「フェストザール(宴会場)」を再現した場面から始まる。これは変化の時であり、思い出と前兆の場所である。
舞台装置と衣装はノイマイヤーがデザインした。ニジンスキーの人物像と舞踊家としてのさまざまな側面を描き出すために、彼の人格のそれぞれの断片を複数のダンサーに表現させることにした。 |