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 カラヤン没後のヨーロッパで、とくにドイツ語圏で活躍する指揮者の中で、いま一番注目されているのは古楽派出身の指揮者だ。中でもその代表とされるのがニコラウス・アーノンクール、そしてサー・ロジャー・ノリントンだ。この2人は今日、世界のトップ・オーケストラ、ベルリン・フィルとウィーン・フィルの指揮台に欠かせない常連として名を連ね、聴衆を沸かせている。
 20世紀後半になって、たとえばウィーン古典派の音楽を、後期ロマン派という巨大なプリズムを通して聴かされることに、私たちは納得も満足もしていない。古楽奏法がよく話題に上るが、奏法を変える、そして楽器の編成を変えるだけでは、この問題は解決できない。音楽への根本的な取り組み方全体が問われている。アーノンクール、そしてノリントンは、この400年にわたる西洋音楽を丹念に研究している。その努力は並大抵のものではなく、膨大な時間を費やしている。その地道な努力がいま大オーケストラで花開いている。この2人の音楽には、方法こそ異なるが、いつも目を覚まされる。音楽は聴いてもらうしかないが、あえて言葉でいうならば、『トランスペアレント(透明性)』、これが2人のマエストロの生み出す音楽の魅力を表現するキーワードだ。
 サー・ロジャー・ノリントンは、1998年からドイツの代表的オーケストラのひとつ、シュトゥットガルト放送交響楽団の首席指揮者を務めている。ノリントンが大オーケストラの首席ポストに就くのはこれが初めてだ。シュトゥットガルト放送響には、これまでもチェリビダッケを首席指揮者に迎えたり(1971年)、また世界の大指揮者たちと新鮮な音楽を生み出してきた伝統がある。このオーケストラがノリントンを首席に迎え、新しい黄金時代を築こうとしている。
 サー・ロジャー・ノリントンはオックスフォード生まれ、父親は大学で教鞭をとっていた。家族全員がたいへんな音楽好きで、ノリントンも幼い頃からヴァイオリンを習い、ボーイ・ソプラノとしても名を馳せた。ケンブリッジ大学では英文学を専攻したが、このころから本格的に指揮の勉強を始めている。1962年にシュッツ合唱団を創立、管弦楽ではロンドン・バロック・プレイヤーズ(のちにロンドン・クラシカル・プレイヤーズと改名)を率い活躍した。オペラの分野でも15年にわたってケント・オペラで活躍、コヴェント・ガーデン、イギリス・ナショナル・オペラ、ミラノ・スカラ座、ヴェニスのフェニーチェ劇場、そしてウィーン、ベルリン、パリ、アムステルダムなど枚挙にいとまがない。2000年6月にはウィーン国立歌劇場の《魔笛》のプレミエを指揮した。また、サー・ロジャー・ノリントンのコンサート・プログラムはアイディアに満ちている。絶対音楽の間にコーラス作品を入れたり、2曲のハイドンの間にエルガーを入れたり、ストラヴィンスキーの間にウィリアムズを入れたり、という具合だ。そのレパートリーは古楽から20世紀音楽まで、広い範囲にわたっている。 素顔のサー・ロジャー・ノリントンは、いたずら好きで、イギリス人特有のユーモアがあり、チャーミングで、とても気さくなマエストロだ。ファンにサインを頼まれ、「私の名前はなんだっけ? 判った! レナード・バーンスタインだ!」と言いながら(もちろん自分の)サインをしていた。コンサート終了後はいつもオーケストラのメンバーが彼の部屋に詰めかけ、その日のコンサートについて、わいわいと楽しく談笑している。
 サー・ロジャー・ノリントンのスケジュール帳は4、5年先までいっぱい書き込まれている。もちろん2001年が初来日となる。
 アーノンクールは長距離旅行をしない。つまり日本では聴けない。
この現実を前に、ノリントンを聴けるようになったのは、音楽ファンにとって大きな幸運だ。

(きし・ちほみ、在ドイツ)


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