太陽の国、中米の大国、メキシコ。この国にはいまだ詳細が解明されていないマヤ文明の遺跡をはじめ、数多くの遺跡群が存在します。また、カリブ海岸のカンクン、太平洋岸のロス・カボスといった、日本人にも人気の高い世界的なビーチリゾートもあり、近年ますます注目が高まっているのです。この国にはマヤ文明やテオティワカン文明など、古代よりさまざまな文明が栄えていました。これらの興味深い遺跡は各所に点在しており、現在では21もの場所がユネスコの世界遺産に登録されているのをご存知でしょうか。そしてメキシコの31州には、それぞれ独自の文化があり、それが色濃く反映されるものが、スペイン語でフィエスタとよばれる祭りです。

ソンブレロとよばれる幅広い帽子をかぶった男たち。白い衣装に身を包み、リズムにのってクルクルとターンする花びらのように美しく、色鮮やかな民族衣装の女性たち。カンクンやメキシコシティなどの観光地では、観光客向けのメキシコ国立民族舞踊団のプログラムもあり、世界各国の観光客を魅了しつづけています。この国が持つ歴史遺産、自然、文明、文化の全ての魅力を凝縮して私たちに語りかけるものが、メキシコの民族舞踊なのです。

メキシコ国立民族舞踊団は、一昨年惜しくも他界してしまったアマリア・エルナンデスが創設し育て上げました。メキシコシティの中心地にある国立芸術院という、大理石をふんだんに使った素晴らしい劇場を本拠地として世界的規模の活躍をしています。“メキシコ人の魂”的な役割を演じている舞踊団として、劇場で連日公演を行なうほか、世界中の大劇場でもパフォーマンスを繰り広げ、世界の民族芸術家たちから最高の評価を与えられた舞踊団です。メキシコ国立民族舞踊団の創立者アマリア・エルナンデスは、幼少の頃から踊りの才能に恵まれ、メキシコ芸術院でクラシックバレエ、モダンダンスを学び、バレリーナとして活躍しました。その後、同院教授、振付師の職に就き、1952年、8人のメンバーからなる舞踊団を設立しました。

今年で結成50周年を迎える舞踊団の歴史を紐解くと、設立当初メキシコ・モダン・バレエ団と命名された小さな舞踊団でした。ショパンホールから同団の活動は始まり、いまもなお踊り継がれている演目「ミチョアカンの調べ」が発表され、大きな成功を収めました。この時点で彼女の舞踊創造への情熱による、フォルクローレ分野への大きな挑戦が始まりました。
その後、舞踊団は、エミリオ・アスカラガ・ビダウレータがプロモート、後援する「フンシオン・デ・ガラ」と題するテレビ番組に出演、毎番組で新しい演目を紹介するという大挙を果たしました。そして67回に及んだこの番組で発揮されたダンサー、振付師としてのアマリアの才能は、メキシコ政府観光局の興味を引き、キューバ、カナダなどでの海外公演、パシフィック・フェスティバル、ロサンゼルス、カリフォルニアでのメキシコ・フェスティバル派遣の援助を受けたのです。

1959年、シカゴで開催されたパンアメリカン・スポーツ競技大会への公式招待を受け、「太陽の息子たち」「ミチョアカンの調べ」「キューピット」「ベラクルスのフィエスタ」「アステカの神々」「ヤキ族の鹿踊り」「ハリスコ」などを披露し、その高いレベルの実力が全米で認めらました。当時のロペス・マテオス大統領は“世界最高の民族舞踊団”と絶賛し、その後の舞踊団に対するすべての援助を約束し、メキシコ国立民族舞踊団と認定されることとなったのです。以降、国立芸術院劇場を拠点に定期的な公演を行なうこととなり、新たな歴史が始まりました。

パリ国際フェスティバル(1961年)での成功も大きな成果をもたらしました。同年中に中国、ローマ、ロンドン、ニューヨーク、モスクワ、東ドイツ、インドへのツアー、そして翌1962年も、米国ホワイトハウスでのJ.F.ケネディ大統領のための特別公演のほか、シアトル・ワールドフェア、ニューヨーク・リンカーンセンター、ロサンゼルス、サンディエゴ、シカゴ、ホーランド、アトランタ、ニューオリンズなど、全米各地を巡演、さらに1963年にはコネチカット、フィラデルフィア、ワシントン、ボストン、シカゴ、インディアナポリス、デトロイト、オクラホマ、マイアミなどの全米ツアーを行なっています。1964年、イギリス、スイス、フランス、イタリアを訪問し、世界ツアーを成功させました。
1965年 ソ連、ポーランド、チェコスロバキア、ノルウェー、デンマーク
1966年 グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ
1967年 メトロポリタン歌劇場リニューアルオープン落成式
1969年 ローマで開催された国際演劇フェスティバル
1977年 フランス・ランス・フェスティバル、ロンドン、ジュネーブ、ウィーン、リヨン、モンテカルロ、ローマ
1978年 香港芸術フェスティバル、日本(民音の招聘で初来日)
1984年 中国
こうした海外公演は、同団の評価を急激に高めることとなり、世界三大民族舞踊団のひとつとして数えられ、最高峰の民族舞踊団としての栄光と称賛を集めることとなりました。さらに世界各地での精力的な活動が認められ、世界中から名誉ある賞を受賞しています。
1964年 ユニバーサル芸術普及協会パリ本部からの彰賞
1969年 ローマ賞
ニカラグアのルベン・ダリオ勲章
1975年 メキシコ演劇評論家連盟からの彰賞
1977年 メキシコ合衆国外務省トラテロルコ鷲メダル
1991年 メキシコ女性賞
1991年 ティファニー賞
メキシコ芸術賞
1993年 ニューヨーク演劇コラムニスト協会賞

最近の公演活動においては、1997年グアテマラでの創立45周年公演、メキシコシティ歴史研究所フェスティバル、アグアス・カリエンテス文化研究所、1998年メキシコ・ダンス・フェスティバル、メキシコ商工会、プエブラ5月フェア、1999年フアン・パブロ?∪ね菲魯ぅ戰鵐函崟さ?の誕生」、「国際舞踊の日」フェスティバル、2000年クアヒマルパ市、オブレゴン市、マデーロ市など、数々の公演を果たしています。

アマリア・エルナンデスがスタートさせた芸術は、50年たった今、アマリアの娘ノルマ・ロペス(現団長)に引き継がれ、今秋、全米ツアーを終えてその直後に来日いたします。あの「ヤキ族の鹿踊り」で衝撃をもたらした初来日以来の大型編成による日本公演への期待は高まります。(※但し、小編成での来日をあわせると今回で3回目の日本訪問となります)