○京劇の歴史
  京劇は歌と踊りを兼ね備え、唱(うた)、念(せりふ)
做(しぐさ)、打(立ち回り)と伴奏を一体化させた舞台芸術です。

200年におよぶ歴史の中で、様式化された歌のふしと
演技が形成されました。
京劇は国と人民から重視され発展していく中で、梅蘭芳
程硯秋、馬連良、周信芳、杜近芳など数多くの優れた
京劇芸術家が誕生しました。
京劇という中国特有の芸術を発展させるため、多く
の京劇芸術家と京劇愛好者の様々な努力により、京劇を
大衆の間に普及させるとともに、海外公演をし
外国の観客にも京劇を紹介してきました。
  著名な京劇俳優の梅蘭芳は男性俳優であるが
いわゆる女形の役者として一世風靡しました。
1920〜’30年代にはアメリカ、旧ソ連、日本を訪れ、京劇普及のため公演を行っていました。このころから、京劇は中国を代表する総合芸術として中国国外でも公演されるようになり、欧米や日本の文芸界にも相当な影響をもたらしました。
  日本で初めて京劇が演じられた時は、女形の頂点にいた梅蘭芳(メイ・ランファン)の妖艶な演技が強く印象づけられました。彼は当時すでに60歳を超えていましたが、仕草の華やかさ、情感を込めた艶やかで独特の歌唱など、日本の観客に強烈なインパクトを与えました。
  日本文学界の巨匠 芥川龍之介は、その著書『侏儒(しゅじゅ)の言葉』の中で、名優・梅蘭芳(メイ・ランファン)が演ずる京劇「虹霓関」(こうげいかん)を観て、京劇の文学的価値を絶賛しています。
  しかし、芥川と同時期に京劇の母国の中国で活躍した小説家・魯迅(ろじん)は、商業演劇としての京劇をきびしく批判して彼の著書の中にもいくつも梅蘭芳の名前が出てくる。一般に、中国近代の知識人の京劇に対する評価は、辛口のものが多かったようです。
  西洋では第二次大戦をはさんで活躍したドイツの劇作家ヘルベルト・ブレヒトは、その「叙事的演劇」論を構築するにあたり、京劇の多大の影響を受けたそうです。また、自作の劇に京劇の技術を導入するなど、彼の京劇に対する大変な興味がうかがえます。
  ちなみに、夏目漱石は、京劇について直接コメントこそしていないものの、知識はあったものと思われます。『夢十夜』の第十夜は、京劇『挑滑車』(ちょうかっしゃ)の内容そのものです。
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