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History of MIN-ON

VOL.05 「マリンロード音楽の旅」の歴史

それは"精神のシルクロード"の船旅

三隅治雄氏 特別寄稿

「シルクロード音楽の旅」と並んで民音の代表的な海外文化交流企画「マリンロード音楽の旅」は1984年から1998年まで、8回シリーズで開催されました。タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ミャンマー、ブルネイ、スリランカの音楽や舞踊、そして歴史を紹介した「マリンロード音楽の旅」。その構成に 携わった三隅治雄氏にシリーズ8作品を語っていただきました。

3インドネシア 太陽の響き・海の舞

多様性に輝く芸能群島

マリンロードとしてのインドネシアは、インド洋と太平洋と結び、また、大陸間ではアジア大陸とオーストラリア大陸を結ぶ結節点にありました。

赤道を中心に、南北1,900km、東西5,100kmの海域に1万3,667の島が群れをなし、言語を異にする300以上の異民族が分居するというのですから、一括して、インドネシアの芸術文化を評することはできません。

シシンガアン
ジャイポンガン

1945年、インドネシア共和国として発足して以来、「多様性の中の統一」を国是として発展してきたこの国の主島は、首都ジャカルタのあるジャワ島です。全国人口の70%がここに住み、中部には、かつて王政を敷いた古都ジョグジャカルタや8、9世紀建立のボロブドゥールの仏教石造遺跡が昔の栄華を伝えていますが、西部のスンダ地方は、東・中部に多いジャワ族に対してスンダ族が多く住み、彼らが培った芸能文化が根付いて香気を放っています。本公演は、そのスンダ地方の闊達華麗な音楽・舞踊を中心にインドネシアの芸術的特性と魅力を存分に紹介し、かつ同じ稲作文化を分かちもつ日本の芸能との比較を計ってみようと意図しています。公演は、1988年10月28~11月24日、19回。

タリ・トペン

開幕は獅子舞から

本公演に出演を願ったのは、母国の伝統芸能の伝承に献身し、それを踏まえての創作に顕著な業績を挙げているナノ・スラトノ氏と、彼をリーダーとする政府派遣舞踊団。それに大歌手ウス・コマリアさんが参加するのも嬉しいプレゼントでした。対して日本側は、民族舞踊集団として活躍著しい「若竹」と民族芸能文化連盟の歌手連です。構成は、音楽学者の田村史氏と私、演出は山元清多氏でした。

演目は、第1部のトップが、日本でもお馴染みの獅子舞の頭が男児と一緒に輿に載せられて道中するお祭り風景です。観客は「あれッ」と驚き、名前も「シシンガアン」なので、親近感を覚えたことでしょう。なぜだろう?と思わせておいて、かの国の強烈な打楽器に乗ってのモダンな踊りの「ジャイポンガン」と竹琴のアンサンブルの「チャルン」、カラテに似た護身舞踊の「タリ・プンチャ」、1人で3つの仮面を取り替えて踊る「タリ・トペン」。これらを、日本の「八木節」、「作業歌メドレー」、「さんさ踊り」をはさみながら演じていきました。両者は、扮装も、楽器も、振りも全く違っているのに、どこか血のつながりを感じさせる。そんなムードで、第1部を終えました。

タリ・トペン
歌手のウス・コマリア

日本と同じメロディが…

第2部になると、まるで日本とそっくりなメロディが出て来るので、観客はびっくりします。最初は、「ガムラン・ドゥグン」。青銅製の打楽器が中心の打奏アンサンブルがガムランですが、バリ島の大編成に比べてスンダは7、8人の小編成。コブ付きゴングを14箇、台上に並べたボナンとよぶ打楽器が主奏し、竹笛のスリンなども加わりますが、そのメロディが沖縄の曲そっくりなのです。日本の歌の中でも沖縄は独特で、ド・ミ・ファ・ソ・シの音階で歌います。それをスンダではペロッグ音階とよんで歌うのです。続いて、今度は大歌手ウス・コマリアが、カチャピ(箏)やスリン(竹笛)にのせて歌いますが1曲は沖縄音階で、もう1曲は何と日本の三味線曲や筝曲でよく聴くミ・ファ・ラ・シ・ドという都節(みやこぶし)音階と似たメロディなのです。これをスンダではマドゥンダ音階とよぶそうです。

歌手のウス・コマリア
カンダガン(宮廷舞踊)

更にびっくりするのは、次の「ガムラン・クリニガン」の曲で、これは、同じガムランながら主奏楽器がルバブとよぶ胡弓に似た弓奏楽器がメロディを奏でますが、それが日本民謡そっくりなのです。音階は、ラ・ド・レ・ミ・ソです。実際に日本の民謡と聴き比べてるとよくわかるので、北海道民謡の「江差追分」と、青森県民謡の「津軽あいや節」を、村松直則・山口省三氏などに歌っていただきました。

もっとも、似ているとはいえ、スンダには独自の風土があり、歴史があり、芸術感覚があります。王国時代の、貴賓を歓迎する女性の踊り「カンダガン」、王女の武術の踊り「カルティカ・プスパ」、人形劇ワヤンの振りを人に替えた「ガトッ・ガチャ」の踊り。スンダの竹林から気ままにつくった竹楽器のアンサンブル「プラクピリンクン」。また、孔雀の愛の姿を描く民俗舞踊「タリ・ムラ」などスンダの芸術美を存分に誇示しました。そしてラストに伝統を叩き壊す「ランパ・クンダン」の大群舞、それがロック顔負けの乱舞の興奮を生んで、観客も共に沸いたことでした。

カンダガン(宮廷舞踊)

その後も続く音楽の交わり

派遣舞踊団のリーダーのナノ・スラトノ氏はバンドン市の国立音楽学校の学部長であり、すぐれた作曲家・演奏家でもあります。構成の田村史氏ともかねて親しく、私もよく談論しました。日本の音楽も舞踊も素晴らしい。これを学ばずして、と毎日云い続けて、本舞台の「チャルン」の演奏にも日本の歌を即興で演奏したものでした。その後、日本には度々来て、民音公演で受けた刺激が今の自分たちの活動の力になっていると眼をうるませていました。

タリ・ムラ(孔雀の舞)
フィナーレ