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History of MIN-ON

VOL.05 「マリンロード音楽の旅」の歴史

それは"精神のシルクロード"の船旅

三隅治雄氏 特別寄稿

「シルクロード音楽の旅」と並んで民音の代表的な海外文化交流企画「マリンロード音楽の旅」は1984年から1998年まで、8回シリーズで開催されました。タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ミャンマー、ブルネイ、スリランカの音楽や舞踊、そして歴史を紹介した「マリンロード音楽の旅」。その構成に 携わった三隅治雄氏にシリーズ8作品を語っていただきました。

7豊穣なるベトナムの楽舞

古楽との8世紀の出逢い

海を遠く隔てたインドシナ半島東部の国ベトナムと日本が、時を遠く隔てた8世紀の昔に、芸能で親しく触れ合った史実がありました。奈良時代の天平勝宝4年(752年)4月9日、奈良東大寺で大仏開眼会(だいぶつかいげんえ)が催された時、大仏殿前庭の舞台で、国内と国外の楽舞が奉奏されるなか、唐楽・高麗楽などと並んで奏されたのが、林邑国(りんゆうこく)の僧・仏哲(ぶってつ)が持ち伝えた林邑楽でした。林邑国とは2世紀ごろベトナム中部以南の海岸沿いにベトナムの一部族のチャム族が建国したチャンバ王国で、中国からは林邑と呼ばれました。インド文化の影響著しく、仏教を信仰し、仏哲は南インドで修行し、中国を経て736年に来朝して奈良大安寺に住みました。753年、林邑楽の演目「菩薩」「抜頭(ばとう)」を宮廷の楽部が学んで、雅楽寮(ががくりょう)の舞楽とし、その他の数曲も雅楽の演目に収まり、今日に伝わりました。

舞踊「メコン川の黄金のお盆」
竹筒筏トゥルンの二重奏「山へ帰ろう」
舞踊「古銭つき拍子木セインティエンの踊り」

もっとも、林邑国の方は17世紀に滅亡し、一方、前111年から939年まで中国に支配されていた北部のベトナム人がゴ・クエン(呉権)の手で独立し、以後王朝が度々替わりながらも18世紀に全土を統一したグエン(阮)王朝まで続きました。しかし、1885年フランス領となって以後、太平洋戦争を挟んで国情が激しく変動し、苦難に遭いながらも、最後は20年にわたるベトナム戦争を勝ち取りました。その民族解放を成し遂げた意識の高まりが、国全体を若々しく甦らせて、新たな社会づくりに人々は活気づいています。

人口構成は、ベトナム人を代表するキン族が約84%で大半を占め、他はタイ族・チャム族・ムオン族・モン族・メオ族・クメール族など54種もの少数民族が散在しています。中国人を初め東洋・西洋の人達も各種事業に携わっています。

豊穣の楽舞の国

ベトナムの民衆は、貧富を問わず、情感が豊かで、感じれば手に取るものを楽器にして歌い、心が弾めば躍り跳ねて興じます。本公演は、その楽と躍の頂点に立つ素敵な演奏家・舞踊家を集めての「豊穣の楽舞」の饗宴でした。

山口修氏の企画協力で、1996年5月15日から6月14日までの18回公演。出演は、ホーチミン市を中心に活躍するサイゴン・ツーリスト・フードン・アンサンブルと、名歌手グエン・ティ・チャウ・ジンを擁するカーフエ・アンサンブルの皆さんです。

竹が創り出す驚異の妙音

第1部は「ふるさとに生きる」のタイトルでの音楽と踊り。最初の「祭りの笛の音」でまず驚かされたのは、ベトナム人の「音」を創り出す能力の素晴らしさでした。この国には竹がいっぱいあって、子供も気軽に竹を切って楽器にするのですが、初めにサオヴォーと呼ぶ竹の縦笛が登場しますが、何と指孔(ゆびあな)が全く無いのです。それが、管の先端に指を当てて、吹き口からの息づかいと指先の微妙な揺らし方だけで、絶妙のメロディを紡(つむ)ぎ出します。しかも、更にもう1本のサオヴォーを同時に口に当てて、二重の音を生み出すという妙演も披露しました。2曲目がまた見事です。クローンブットと呼ぶ竹の楽器で、太めの竹筒を長さの順に並べ、管の開口部の前で手のひらをへこませて手拍子を打つと、それが竹筒の中で共鳴し、また、楽器の角度を変えて、ゴムベラ状の平たいもので端を叩くと歯切れのよい打音が響きます。それに、笛・太鼓・鈴をからませながら、春の到来を呼ぶ音楽を奏(かな)でるのが爽快です。男性のコーラス「少女の水浴び」でも、伴奏に竹製横型のシロフォンとダンゴーンと呼ぶ竹製の琴が使われますが、後者は竹筒の胴に金属弦を張り、その竹筒には瓢箪の共鳴胴を付けて独得の音を弾き出します。また、「山へ帰ろう」の曲では、細めの竹を長短の順に横並べして紐でつなぎ弓状に吊り下げたダントゥルンと呼ぶ竹製のシロフォンを、2台で打ち鳴らしながら、高原の小川のせせらぎにも似た清冽な音楽を奏でます。もともと山地民族の楽器で、山中の樹の枝に片方を結び付けて弓状に吊り下げ、桴(ばち)で打ったと言います。

第1部では、他に旧都フエの民謡2曲と群舞2曲、打楽器合奏を披露しましたが、民謡の1つは恋人を一夜待ちわびて暁を迎える歌で、日本の「黒髪」や「諸屯(しょどん)」に酷似し、群舞の「杯(さかずき)カスタネット」は、佐賀・長崎の民踊「皿踊り」に似て興味を誘いました。

指孔なし縦笛サオヴォーの独奏「祭りの笛の音」
舞踊「杯カスタネット」

平和への願いを込めて

第2部「平和を願う」では、一弦琴と十六弦筝が注目されました。前者はダンバウと呼ばれ、日本とまるで異なり、全長80~100㎝の共鳴胴の端に、瓢箪(ひょうたん)の殻に竹の棒を挿したものを取り付け、一方の端から張った1本の金属弦をその竹棒(柱)に巻き、奏者は左手でしなやかな竹棒を操作して弦の張力を調節し、右手は細撥(ほそばち)で弦を鳴らし、かつ小指で弦に触れて倍音(ハーモニックス)を出します。実に繊細でベトナムならではの奏法です。一方の十六弦ダンチャインは中国伝来のもので日本の十三弦箏と似たものです。この両者で奏でる「子守歌」は美しく心に沁みるものでした。

一弦琴の独奏は、かつて北部に襲われることの多かった南部の民衆の平和への願いを訴える曲でしたが、また民謡で、チャウ・ジンさんが、破れて他国に嫁ぐ南部の王女の南の平和を希求する歌をせつせつと聴かせました。昔は東西対立して、文化も違い、音階も北のパク、南のナムと異なっていたベトナムです。しかし、今は全土の多民族も1つになって国の平和と発展を期そうとしている。その心意気をダイナミックな太鼓とパーカッションの壮烈な演奏に示して、幕を降ろした感動的な公演でした。