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History of MIN-ON

VOL.05 「マリンロード音楽の旅」の歴史

それは"精神のシルクロード"の船旅

三隅治雄氏 特別寄稿

「シルクロード音楽の旅」と並んで民音の代表的な海外文化交流企画「マリンロード音楽の旅」は1984年から1998年まで、8回シリーズで開催されました。タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ミャンマー、ブルネイ、スリランカの音楽や舞踊、そして歴史を紹介した「マリンロード音楽の旅」。その構成に 携わった三隅治雄氏にシリーズ8作品を語っていただきました。

6ブルネイ&沖縄 南国の楽園 王朝の雅び

企画の思い付き

ブルネイは、ボルネオ島北岸にある面積5765km2の、日本ならば三重県ほどの小さな国です。人口も27万人ほど。建国が1984年で、1994年が10周年に当たるので、それを記念して出演を願いました。沖縄の芸能との共演は、沖縄が琉球王国を名乗って中国交易を中心にマリンロードで活躍していた15、6世紀、ブルネイ王国もまた中国とインドネシア東部を結ぶ海上交通の要衝として多くの船舶の往来で賑わった歴史があり、同じ南海の小王国がどのような芸能文化を育んで来たのか?をたずねてみたいと思ってのことでした。

ささげものの踊り
タンダ・カシ
サマリンダン

ブルネイという楽園王国

世界第三の大島ボルネオ島には古くダヤク族・ムルット族などの先住民がいましたが、マレー半島などから渡来したマレー人が港湾をひらき近隣との交易を盛んにして王国を建てました。ブルネイの発祥です。15世紀末の首長がイスラムに帰依(きえ)して初代スルタン(宗主)となり以来、王宮の儀式や芸能もイスラム色の濃いものになりました。その後、現在のマレーシア領のサバ州・サラワク州に勢力を伸ばしましたが、19世紀中期以後、イギリスの勢力に押されて領土を狭め、1906年にイギリスの保護国となり、太平洋戦争後、マレーシア連邦結成への参加を求められたが、領海で産出する豊富な石油と天然ガスの利益を守るため、独立の道を選びました。地理的には、サラワク州の中にある二つの飛び地が領土で、伝承する文化の基層はマレーシアと共通します。住民の70%はマレー人で、次いで中国人が20%、その他先住部族、アラブ人、欧米人、日本人などが混住しています。

スルタン国王は世界一の資産家、国民の所得税はゼロ、医療費も無料、教育も無料、海外留学も公費といった民衆にはまるでユートピアで、南国の楽園と言われるゆえんです。それも全て石油と天然ガスのおかげ。しかもその70%の輸出先が日本とあっては、両国の友好度の深さは並みではありません。

南海のさんざめき

本公演は1994年5月10日から6月12日までの24回。ブルネイ国立民族舞踊団と民族舞踊団琉球が出演しました。構成は海野洋司氏と私、演出は海野洋司氏でした。

ブルネイの演目は、ブルネイが誇る国立舞踊団の日本初お目見得とあって、舞踊団自慢の珠玉の作品をずらりと揃えました。最初の「捧げ物の踊り」は、王国時代の宮廷舞踊で、貴賓への献上物の儀礼を舞台化したもの。ブンガ・テロール(花卵)やベラ・クニン(黄米)などの珍しい品々を捧げる振りが見ものでした。続く「シピン」は祝典の余興の踊りで、国の風土を讃えます。「ダンダ・カシ」は、結納式での新郎・新婦双方からの贈り物を運ぶ道中を描くもの。「ジョン・サラ」は、花嫁・花婿が身につける衣裳を持っての男女の踊り。「サマリンダン」は、伝説に残る美少女を主題にしたもの。彼女の容姿と心の美を讃え、彼女から国王へ敬慕の讃歌を贈るという内容で、赤と緑の衣裳の踊り手が花笠を両手にして優雅に踊ります。以上の踊りの間々に、沖縄の祝賀舞踊「四つ竹」、若衆踊の「祝い獅子」、女性の群舞「貫花(ぬちばな)」が踊られました。

第2部は、がらりと一転して、海の躍動と土俗の野性紛々の民族舞踊の競演です。特に、ブルネイ民族舞踊団が蒐集(しゅうしゅう)怠りない先住民族の音楽・舞踊が見ものでした。 最初の「アダイ・アダイ」のアダイは船漕ぎの掛け声で、櫂を手にする漁師の男と笠をもつ女が踊ります。「シラー」は東南アジア共通の護身の拳術。「メンゲタン・パディ」は、先住民のカダヤン族が伝承する踊りで、種蒔きから稲の籾摺りまでの稲作りのさまを女たちが演じます。「アライ・セカップ」は、先住民クワラバライ族の呪術性の濃い古舞踊で、部族の長や家族の死に際しての悪魔払いに、樹の棒を使って跳んだり跳ねたりするのがバンブーダンスの印象です。次の「アンディン」も先住民伝承のシャーマン儀礼の歌舞で今回はその神秘な歌声を聴かせました。更に、カダヤン族のココナッツを打ちはやす「アドゥ・アドゥ」、ムルト族の新築祝いの「ウマ・ルマ」の踊り、亀と猿の擬態をユーモラスに見せるカダヤン族の「クラ・クラ」など、いずれも珍しく、かつ面白く、よくぞこれだけの先住民の古俗を蒐集再現したものと敬服しました。これと対照する沖縄の踊りも、漁村の男女を描いた名曲「谷茶前(たんちゃめ)」、稲の収穫の踊り「稲摺り節(いにしりぶし)」、空手の「武(ぶ)の舞」、船出の雄姿と心意気を謳った「かりゆしの船」など、東アジアの文化を全身に吸収した海洋王国の輝きを顕現して感動を呼びました。

かりゆしの船
ディルガハイユ
友情をはぐくむ舞踊手たち/楽屋にて

異同をたずね合う

公演の移動中、団員同士、リズムも曲種も似ているねとうなずき合いながら、でも、楽器編成がまるで違うのはどうしてなの?という話になりました。ブルネイはインドネシア系のガムランやアラブ系のスルナイ・ウ―ドなどを使うのに、沖縄は中国系の三線や日本本土の筝や篠笛など。これもそれぞれが航海したマリンロードに由来するかと、各自のルーツを海上に探ることで納得し合ったことでした。