HOME > おすすめコンテンツ > History of MIN-ON > Vol.05 「マリンロード音楽の旅」の歴史

History of MIN-ON

VOL.05 「マリンロード音楽の旅」の歴史

それは"精神のシルクロード"の船旅

三隅治雄氏 特別寄稿

「シルクロード音楽の旅」と並んで民音の代表的な海外文化交流企画「マリンロード音楽の旅」は1984年から1998年まで、8回シリーズで開催されました。タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ミャンマー、ブルネイ、スリランカの音楽や舞踊、そして歴史を紹介した「マリンロード音楽の旅」。その構成に 携わった三隅治雄氏にシリーズ8作品を語っていただきました。

5ミャンマー竪琴の響き・金色の舞

仏塔の国

東南アジアの西端にあるミャンマー連邦は、1983年以前までビルマ連邦と称していました。人口の3分の2を占めるビルマ民族が建てた国だったからです。中国西部から南下した先祖がイラワジ川中流域で先住のビュー族を吸収して、9世紀にバカンに王国を建てたのが基で、歴代の国王が仏教に帰依して、寺院や仏塔(パゴダ)を建て、一大仏教国となりました。

とは言え、国の歩みは波乱万丈でした。中国の元(げん)の侵攻を受け、周辺のシャン・モン族と争い、またタイのアユタヤ王朝に勝利したものの、モン族に敗れ、奮起して復活するなど盛衰を繰り返しました。1757年、全土統一の王朝が成ったのですが、1885年、イギリス軍に敗れてその植民地となり、第2次世界大戦を経て、1948年に独立を果たしました。連邦を名乗るのは、多民族国家で、シャン、モン、カチン、カレン、カヤー、ラキン、チンなど少数民族の自治州を抱えているためです。

ウー・シュエー・ヨーとドー・モーの踊り
操り人形の踊り

自国創出の芸術

東は中国、ラオス、タイ、西はインド、バングラデシュに接し、南西はベンガル湾に面している環境は、海・陸の多種多様の文化を受容するのに適し、事実、インドの仏教音楽や文芸が早くから浸透し、中国の音楽、更にタイの音楽・舞踊なども摂取しました。しかもそれらを、自分たちの感性と技術で練り直し、創り改めて、ビルマならではの芸術に再生させました。外からは頑固な軍事国家かと思えたのが、実は、情感豊かな芸術を創り出す文化国家であったと、今回の公演で思い知った私達でした。

サイン・ワインを中心に

公演は1992年4月1日から25日までの17回。構成・演出は海野洋司氏でした。
今回の何よりの喜びは、過去、国外公演の少なかったミャンマーの国立劇場舞踊団の優れた芸術家たちを迎えたことです。リーダーも、ベテランも、若手も、みんな謙虚で、物腰優しく、素朴な感じです。それでいて、一度舞台に立てば、凛として、眼差し厳しく、素晴らしい演奏を披露してくれました。

サイン・ワイン・オーケストラ

演奏形態が独得です。中心となるオーケストラを「サイン・ワイン」と呼びます。サインは太鼓・ゴング「円」を意味します。中心の楽器をパット・ワインと言い、パットは太鼓の意で、調律した壺型の小太鼓21箇を円形の木枠の中に吊るして並べたもので、個々の太鼓の表面にはパット・サル(米と木灰を水で練ったもの)を張り付け、太鼓の大きさにしたがって調律し、3オクターブ以上の音階でメロディを奏でます。パットの奏者がリーダーで、中央のサークルの中で演奏し、右のサークル内にパマ(吊るし大太鼓)、左のサークル内にチー・ワイン(19箇の真鍮のこぶ付きゴングを円状に並べたもの)の奏者が陣取り、脇にネ―(ダブルリードの管楽器)の奏者が立ち、他に大小の太鼓やドラの奏者が後ろに並びます。もともと、野外で大きな音響を響かせて演奏するもので、ホールでは更に、迫力と重量感たっぷりの演奏が楽しめました。それと対照的なのは、「ビルマの竪琴」で知られるサウン・ガウと呼ぶ弓形のハープと、パッタラーという竹製の木琴が主体の室内楽で、叙情性に満ちた音律が心に沁みます。

サイン・ワイン・オーケストラ
王子と王女の踊り
ラーマー・ヤナより「鹿追いの章」
フィナーレ

踊りと人形振りと

踊りは、植民地化される前の王朝時代の宮廷舞踊の伝統を守っています、今回は「王女の踊り」「王子と王女の踊り」「女性の群舞」でしたが、インドやタイと血の通いはあるものの、健々(たけだけ)しい感じで、両肘を挙げ、手首を曲げて指先をのばす形や、膝を曲げ、足先を後ろに跳ねあげる動きが、しなやかなタイに比べて印象的です。続いて、ミャンマー独得の糸操り人形を披露しましたが、何と、その糸で操る人形のポーズが、宮廷舞踊のポーズとよく似ているのです。実際に、人形操りの横で、人間がそっくり操りの振りを演じて見せましたが、それはまさに宮廷舞踊の形でした。インドネシアでも、ワヤン・クリ(人形劇)の動きと古典舞踊のそれが共通しているのを見ましたが、東南アジアでの舞踊&人形振りの類似に興味が惹かれます。

今回、その人形振りに対照させて、日本側から共演した花柳衛樹(はなやぎもりき)舞踊団が操り人形を舞踊化した「操三番叟(あやつりさんばんそう)」を演じ、また、ミャンマーの男女の喜劇舞踊に対して、コミカルな「おてもやん」を演じてミャンマーとの近さを感じさせました。圧巻は、仮面劇「ラーマヤナ」鹿追いの場と、ラストの古都マンダレーのエメラルドの湖に象徴される美しい乙女や芸術家をたたえるサイン・ワインと群舞で、芸術の国ミャンマー美を謳い上げた公演でした。

観客への感謝

公演旅行の途中、楽員の人々がこもごもに語ったと言います。日本に初めて来て、分かってもらえるか心配していたのに、毎日すごい拍手をもらえるなど夢のようです。それに、みんな笑顔で手を振って、温かくて、仏さまに抱かれたみたい。日本に来て、自分の音楽に自信が持てました。見て聴いて下さった人々に感謝します…と通訳から聞きました。その楽員の人達のお顔も仏さまのように見えました。