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カリブ海ミュージック・クルーズ GUACO(グアコ)

「初対面」の聴衆を踊らせたベネズエラの老舗・最先端ダンスバンド:カリブ海ミュージッククルーズ《グアコ》

石橋純(東京大学教授)

「ベネズエラのスーパーバンド」と呼ばれるグアコが、2016年秋に来日。全国14都市で公演した。

グアコは、ベネズエラ第2の都市マラカイボの出身。汽水域であるマラカイボ湖を通じてカリブ海に接するこの地域=スリア地方は、古くはカカオやコーヒーの輸出、20世紀以降は油田開発で知られる。グアコは1958年にスリアの民謡「ガイタ」を演奏する学生楽団として発足した。結成10年頃から、ボサノヴァ、サルサなどを取り入れ、ラテンダンス音楽の革新を指向し、こんにちに至る。創立50年を数える楽団は世界中にあまた存在するが、その老舗楽団が若者を熱狂させ、踊らせ続ける例は稀だろう。グアコは「ワン・ダイレクションとファン人気を分けあうローリング・ストーンズ」のような存在なのだ。

グアコはいまから25年前、1990年前後に日本でもマスに露出しかけたことがある。サルサを踏まえながらも、ベネズエラ民謡のルーツも保ち、(当時流行の)テクノサウンドを大胆に取り入れたグアコの音楽は、そのころブームに沸いた「ワールドミュージック」のコンセプトにはまったのだ。4点のアルバムが立て続けに大手2社・独立系1社から国内リリースされた。当時ベネズエラに住み、グアコと親交のあった私は、こうしたプロジェクトに直接関与した。

この勢いに乗ってグアコの来日公演はすぐにでも実現しそうに思われた。だが折悪く、日本はバブル経済崩壊に見舞われ、招聘プロジェクトはなんども持ち上がりながらも、頓挫した。総勢20人以上の大編成が仇となった。

時は流れて、2016年。日本では「知る人のみぞ知る」存在となったグアコであるが、逆に現地での人気はますます高まりラテングラミー受賞バンドとなった。そうしたグアコが来日するという報せは、私たちラテンアメリカ音楽の愛好者にとってはにわかには信じられないほどの喜びだった。「民族や国家、イデオロギーを超えた、人間と人間の交流による相互理解」を「芸術、文化の交流」を通じて実現しようという民音の理念あってこその快挙といえよう。

来日に際して、私は演目の選曲・構成の助言、3ヶ月にわたる雑誌記事連載、プロモーションイベントの企画・運営、公演プログラムの執筆、来日記念盤CDの選曲・解説執筆・歌詞対訳などに携わるかたちでツアー制作に参画した。初日の福岡サンパレスが会場総立ちになった動画報告を観たときには、感慨と安堵に襲われた。

私がライブ・ステージを観たのは、文京シビックセンターと中野サンプラザ(ともに東京)ならびに大宮ソニックシティ(埼玉)の3公演であった。なかでも2016年11月9日の大宮公演は、強い印象を残した。

第2部の序盤4曲目あたりで、グアコの音楽のポジティブな波動を受け止めた聴衆の身体が熱を放ち、それが周りの人びとの身体を熱くしてつぎつぎと増幅していくのが肌で感じられた。「見てとれた」と言ってもいい。歌手のディエゴが6曲目で「ミナサン、オドリマショウ」と呼びかけたとき、多くの聴衆はすでに身体を動かしたくてうずうずしていたようだ。サルサを踊るのが趣味というわけでもないだろうし、ましてやベネズエラ音楽もグアコの楽曲も会場ではじめて聴いた人がほとんどだったはずだ。まさにこの夜この会場で出会った音楽に心と身体を委ねた結果、2,000人あまりの聴衆が立ち上がり、思い思いの律動で、終演まで踊り続けた。

この夜大宮ソニックシティは「国家・民族・言語等の文化の相違を超えて、グローバルな音楽文化交流を推進し、各国家における相互理解と友情を深めていく」という民音の理念が、グアコの音楽を通じて実践される現場となった。それを担ったのは熱烈なラテン音楽ファンではなく、ふだん南米文化とは無縁であろう一般「民衆」だった。

この夜のようにアーティストとともに踊り、さらに言えばともに歌ってこそ、はじめてラテンアメリカ音楽文化の深い理解に到達できると私は考える。そうしてこそ真の意味での「文化の相違を超えた、グローバルな音楽文化交流」が実現できると私は確信している。次回のグアコ来日の際には、ぜひ「ここぞ」というときに会場いっぱいのコーラスを返せればと思う。そのためには、私も非力ながら、草の根のファンネットワークあるいはインターネットや事前イベントなどを通じて、「事前学習」の機会を提供したい。